教育福島0131号(1988年(S63)06月)-023page
随想 ずいそう
心のふれ合い
添田和良
「先生しばらくです。お元気ですか。今度、私結婚することになりました。先生に是非来ていただき、お祝いの言葉をお願いしたいのです。そのうち先生の家を訪ねたいと思うのですが、ご都合は如何でしようか」………‥
中学校時代のT子からは想像もつかないくらいの丁寧な口調と明るく幸福いっぱいな元気な声が電話から響いてきた。
T子は、私が進路担当をしていたときの中学三年生であった。学級ではもちろん、学年、学校全体のなかでも目立った存在であった。T子の中学校生活は、本人自身の生格とそれをとりまく環境の影響で生活そのものが荒れていて、いろいろなことがあったが、その都度担任教師と共に家庭訪問をくり返して援助指導と親との相談をし、その他多くの話を交わした。それ以外にもT子との心のふれ合いにおいて忘れることのできないことばかりの一年間であった。
進路決定時には、クラスの全員が進学を希望しているという雰囲気のなかで、本人の将来について三者で話し合うため何度か家庭訪問をし、その結果、地元の某会社へ就職することになった。
あれから数年、学級担任でもなかった私に突然電話をよこし、結婚式の披露宴に招待されたことは、教職について今日まで数多くの卒業生を送り出してきたなかでも、大変に嬉しい出来事の一つであった。結婚式当日、私は心から「おめでとう。本当によかったね」と祝福した。その時の私の脳裏にはこれでよかった、彼女との一年間の心のふれ合いは「無」ではなかったと…‥‥。
彼女も私の祝福に息をつまらせ「本当にありがとうございました」と深々と頭をさげた。
私は二十数年前の教員採用試験の面接で、試験官からの、「教師になる理由は」の質問に対しての次のように答えたのを記憶している。
「教師という職業は、他の職業と違って人間と人間の心のふれ合いも得られるような気がするからです」このことが今までの数多くの卒業生やT子との出会いの中で、達成できたような気がしている。
これからも過ごすであろう教員生活において、多くの生徒たちと接することであろうが、そのなかで何人と「人間のふれ合い」ができるだろうか。またどうしたら多くもっことができるだろうか。
今ふり返ってみると、今まで無我夢中でやってきた二十数年間であった。特別な指導力とか人一倍豊かな経験はもっていないが、誠実さと情熱だけは誰にもまけないでいつまでも持ち続けたい。そして教員生活を通しての人間と人間の心のふれ合いを大切にこれからも過ごしていきたい。
(二本松市立二本松第一中学校教諭)
蛙の声
佐藤則平
蛙の声が聞こえ
星空がきらめいて
時が移り
私が歩いている
いま私は生きているにちがいない
伊藤整のこの詩をはじめて目にしたのはいつ頃のことだったろうか。さりげないこの詩が、その時、深く静かに私の心の襞に染み込んでいったのを覚えている。
初夏の夜、畦道を歩いている。ふと気がつくと蛙の声が周囲から聞こえてくる。空を仰ぐと満天の星だ。その星のきらめきは時の流れをあらわしているかのようだ。その時、全身に湧いてくる生の充実感。私は思う。いま私は大きな宇宙の中を歩いているのだ、と。
この詩人の〈心〉の総てを説明する