教育福島0131号(1988年(S63)06月)-024page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

ことは難しいが、詩の意味としてはそのようなところだろう。では、なぜこの変哲もない詩が、私の心の片隅から離れ得なかったのだろうか。

たしかに私にもこの詩と同じ感情を味わったことがあった。あれは、子どもの頃、田の草取りの手伝いを終えて、星の出ている夕暮れの畦道を父母と共に家路についた時だったろうか。それとも、暗くなるまでかくれんぼをして遊んでいて、隠れた物陰からふと見上げた空に星のきらめきを見つけた時だったろうか。もちろんその時、明瞭に「生の充実」を意識したはずはなかった。しかし、たしかにその刹那、幼い私の内部に、大自然に抱かれて生きて在ることの幸福感が生まれていたのだ。その記憶のゆえに、この詩を一読した時、その内にある無限の広がり、自然の豊かさ、そしてその中で生きているものたちの鼓動と体温とが感得されたのだろう。

しかし、今、改めてこの詩を読み返すと、そこにあるのは、単に「生」の喜びから得られる充実感だけではないということに気づかせられる。生きることの哀しさ、寂しさ、そして健気さ。そうしたものがこの詩の底にはある。詩に対するこうした解釈の変化は、私自身の「時の移り」のせいであるかもしれない。いや、あるいは私のこの詩に対するそうした解釈そのものも誤っているかもしれない。しかし、たとえ誤っていても、「生」にはそうした意味−哀しさや寂しさや健気さ−が存在することもまた事実なのだ。そういう意味を認めながら生きることによってこそ、真の「生の充実感」が得られるのだろう。身も心も投げ出して母の胸に抱かれた時のような安堵感、幸福感をしみじみと味わうことができるのだろう。

表面的な美しさほどこわれやすいものはない。それのみにとらわれた人間の生も、それはそれで一つの生き方には違いないが、それはやはり不幸なのだと思う。ともあれ、私もまた社会に出て後、久しくそうした表面的な生をのみ追い求め、生き続けてきたように思う。生きていることの喜びを全身全霊で味わおうと願った、いや、味わったであろうこの詩の作者の”こころ”を私は忘れていた。〈いま私は生きているにちがいない〉−そう感じることができるような生き方を、私はこれからの「生」の中での目標としなければならないと思う。蛙の声を聞くために……。

(県立安積高等学校教諭)

 

文化財保護との出会い

本田光雄

 

団法人福島県文化センター遺跡調査課に勤務して、はや一年の歳月がすぎた。

 

私は、昨年の四月に縁があって、財団法人福島県文化センター遺跡調査課に勤務して、はや一年の歳月がすぎた。

当文化センターの中に遺跡調査課があり土地に埋蔵されている土器、木器、金属器、瓦などの発掘した遺物を記録保存する仕事があることを知らなかったが、ここにきて、遺跡調査にかかわる多くのことを知ることができた。

この仕事には、男のロマンがありことばに言い尽せないものがある。

私は、学校の教員から派遣されてきたが、学校教育の立場から考えると、遺跡は、わが国の歴史、文化を正しく理解するため欠くことのできないものであり、また、これらの文化の向上発展の基礎にもなると思う。

したがって、先人の残した文化財は、「ほんとうのすがた」のままでわたしたちを含めた後の世の人々に、そのまま残していきたいと願うものである。

かつて、私が県から委嘱され文化財保護指導委員であったころ、ある地主から、「文化財を保存する必要性はわかるが、現実的、経済的に生活していくのに困っているので、土地を手ばなさなければ、食べていけない」とか、「調査して貴重な文化財であることを知りながら開発せざるを得ない」といったことを耳にし、市町村や県の担当の方に相談したことがあった。

ともすると、開発を急ぐあまり文化財そのものの改変を行うことがあるのは、まことに残念である。

わたしたちの祖先が残した文化財の「ほんとうのすがた」を後輩の人々へ伝えるために学校、社会教育のカリキュラムの中に位置づけ学習し、理解した上で、国民共有の財産を大切に後世に保存したいものである。

私も、発掘現場で、近くの小学校の先生が子どもたちを引率して遺跡を見学しているようすを目にすることが

 

遺跡調査の現地見学会

 

 

 

 


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育委員会に帰属します。