教育福島0131号(1988年(S63)06月)-026page

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後までやり通すという、ねばり強さの持ち主であった。試合を間近に控えたころ、ふさぎこみ、練習に身が入らず思い悩んでいるH子の姿があった。呼んで話を聞いてみると、友人関係がうまくいかず心が動揺し、思うようにトスを上げることができないということであった。私は、誰にでも悩みや失敗があること、そして、強い意志を持ち、相手の立場になって考えることの大切さなどを話して聞かせた。

以後、徐々にもとのような明るさを取りもどし、すべてを忘れ練習に打ち込む姿が見られるようになった。そして、大会当日、すばらしい活躍を示し、東北大会第三位の原動力となったのである。

今春、中学校へ巣立って行ったが、中学校でも努力を重ね、名セッターとして活躍し、すばらしい思い出をたくさんつくることであろう。

このH子のバレーボールに対する真摯な姿を通して、さまざまなことを学び、教えられた。

その第一は、どんな子どもでも無限の可能性とすばらしい素質を秘めているということである。

その可能性と素質をいち早く見抜き育てるためには、常に子どもと接し、目標実現のため、努力し続けることが大切だと思う。

第二は、教える側が、子どもたちを温かく見守り、あらゆる角度から、一人一人の子どもたちを正当に評価することができる「ものさし」を持っていなければならないということである。

そのためには、広い視野に立って物事を考え、本質を鋭く見極め、豊かな人間性を育てることが必要ではないだろうか。

第三は、真剣に学ぼうとする積極的な態度が、自己を大きく成長させるということである。

「教えることは、希望を永遠に語ること。学ぶとは、誠を胸に刻むこと」という言葉をもう一度かみしめて、『教育とは何か』という永遠の命題について、これからも問い続けていきたい。

(浪江町立浪江小学校教諭)

 

子ども会キャンプ

目黒俊介

 

高千九十メートルの湿原には、春から夏にかけて多くの花々が咲きみだれる。

 

雄国沼は、「ミニ尾瀬」とも呼ばれる火口湖である。標高千九十メートルの湿原には、春から夏にかけて多くの花々が咲きみだれる。

レンゲツツジ、ニッコウキスゲ、ワタスゲなどは見事な群落を作る。さらに、ミズバショウ、タテヤマリンドウ、ショウジョウバカマなども咲き、まさにミニ尾瀬という観をなしている。

昨年、喜多方市子ども会指導員の一員として、二度の子ども会キャンプに参加する機会を得た。

一つは、市内の中学生を対象とする雄国沼キャンプである。

沼のキャンプ場で二泊三日の生活をした。ジュニアリーダーとしての資質を高めるためである。

その最大の難関は、猫魔ガ岳登山である。千四百四メートルの山頂をめざすが、最初の目的地は、山頂の一つ手前の頂にある猫石である。

きれいな小川を何度か渡り、アップダウンを繰り返し、道はいよいよ急になる。一本調子の上り坂。さすがの中学生も口を閉じたままである。やがて灌木帯がきれ、巨大な岩石群が現れる。猫石である。全員がかけ上がる。

ふり返ると、コバルトブルーの雄国沼が、外輪山と湿原とに囲まれていた。太古の噴火口も今は、水と緑におおわれてやさしい光をなげかけている。

中学生のどの顔も登りきった喜びと大自然にふれた感激にあふれていた。もう一つは、雄国山麓での小学生キャンプである。

地域子ども会のリーダーとして活躍してもらうために実施された。自分たちでテントを張り、食事を作る本格的キャンプである。

早朝、滝のように雨が降ってきた。指導員が心配そうに巡視する。大粒の雨の中、建て方の悪いテントが三つ見つかった。テントをおおっていたシートが、だらりと垂れ下がり、雨もりし始めていた。ペグの打ち方が悪かったのである。

離れた所の二つのテントは、雨をはじきながらしっかり建っていた。中では、子どもたちが静かな寝息をたてていた。「キャンプにむだな物は無い」二十本もあるペグだが、一本たりともおろそかにできないのである。

早朝の雨はこんなことを改めて教えてくれた。

 

この子ども会キャンプに参加して、多くのことを学んだ。

先輩の指導員の方々からは、厳しさとやさしさ、周到な準備と安全への配慮、情熱などを学ぶことができた。

自然からは、人間であることの弱さと、先人が築き上げた英知のすばらしさ、つまり人間の強さを教えられた。

先輩の働く姿と雄大な雄国の景観を忘れることはできないであろう。

(喜多方市立第一小学校教諭)

 

 

 


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