教育福島0131号(1988年(S63)06月)-029page

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雪とつばめと

船田英夫

 

は、水田にようやく黒いものが見え始めたものの大部分は雪に覆われている。

 

四月も下旬となれば会津でも花見がたけなわである。だが只見ではまだ雪が残っていて桜の蕾は固い。最も雪の多い只見高校周辺では、水田にようやく黒いものが見え始めたものの大部分は雪に覆われている。

除雪車で校庭の端に押しやられた雪の山は三メートルを優に越える。晴天の日や雨の日はかなり溶けているのだろうが、目に見えてというほどではない。六月になり周囲の山々が冬との別れをとうにすませ春の喜びに浸る頃、校庭の隅には埃をかぶった雪が申しわけなさそうに消えずにいるはずである。只見では当分の間つばめが雪の上を飛ぶ光景が続く。

 

今年の新入生は六十七名であった。定員には届かないが五十五年以来の大台である。先生も二名増え学校は今活気に溢れている。PTAの方々と夜遅くまで行った生徒募集の成果が数字に出たようである。昨年は生徒の不祥事がほとんどなく、町の人々がそれを喜び本校への理解を示してくれたことも嬉しいことであった。

例年新任者のほとんどが新採用である。若いだけ率直に物が言える。その零囲気はしばしば意見の衝突と方法の違いを生む。しかし争いごとはない。平均年令二十八才の職員室は明るく、笑いがありユーモアが飛び交う。共通理解とチームワークがあれば生徒の指導にも自信がでてくる。豪雪の山間へき地校で自分ができることは何か、若い先生たちはこのことをよく考えている。また、ここで力を発揮できない者がどんな学校にせよ次に移ってゆく所で頑張れるはずはない、ということも知っている。

一人で三つの校務分掌がふつうなので二年もたてばたいていの仕事は覚えてしまう。四月には一、二年生は個別面談が、三年生は三者面談が終る。一学期中に一年生すべての家庭訪問が行われる。ほとんどの先生が七時近くまでそれぞれの仕事や部活動に精を出す。

只見の生徒は逞しく親思いである。長期休業中にアルバイトをしてはせっせと貯金をする。修学旅行の小遣いを稼ぎ、高額な品物は自分で買う。六割以上が通帳を持っている。また優しい生徒が多い。プリント配布をして枚数が足りないと、「せんせー、たりません」声の主はだいたい列の中ほどの生徒である。後ろの生徒へ先に渡し自分は持っていない。どのクラスにもこういう生徒がいる。友人への配慮をこういう形で見せつけられたのは教壇に立って初めてであった。

 

この世の生活は答のない問題集を解くようなもので、どれぐらいの点数か生きている間はわからないという。ここを去るまで、何ができるのかという問いは頭を離れないだろう。できたかできなかったのかの答もでないだろう。ただ毎日が修行である。その中で人との出会いの縁を大切にしなければならない。

五月の連休も過ぎ桜のことなどよそでは忘れられた頃に只見高校の桜は咲く。遅ければ遅いほど待つ時間は長く、咲き具合にあれこれと想いをめぐらすことができる。春はこれからである。しばらくの間つばめには雪の上を飛んでもらおう。

(県立只見高等学校教諭)

 

私は教師二年生

 

私は教師二年生

我妻雄比古

 

四年間。特に、レスリング部の合宿所生活の思い出は忘れることができない。

 

「起床!起床!起床でーす」この大きな声が、毎朝、合宿所での私たちの一日の始まりを知らせてくれる目覚し声であった。苦しくも楽しかった大学生活の四年間。特に、レスリング部の合宿所生活の思い出は忘れることができない。

合宿所生活。それはレスリング技術の向上をめざすことはもちろん、少々のことではへこたれない強い精神力を育ててくれた場でもあった。今、体育教師として、一社会人として日々生活する中で、合宿所生活は、私に大きな影響を及ぼしている。

私は三人兄弟の末っ子として育ち、幼ない時からあまり波風のない環境の中で高校三年まで過ごしてきた。中学時代は柔道、高校時代はレスリングと運動部に所属して生活してきた。その

 

 

 


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