教育福島0186号(1995年(H07)04月)-029page

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処理の世界の進歩は著しく、一日一日新しいものが研究開発されていくと思う。時代を絶えず見据えながら社会に有用な生徒を育てていくために、校内外の研修会・講習会に積極的に参加して授業にパソコンを活用していきたい。

(福島県立平商業高等学校教諭)

 

ボーイスカウト活動から学んだこと

横田和典

 

新学期。四年生の担任となった。

 

新学期。四年生の担任となった。

最初の朝の歌でのこと。

「しまった。何も用意してない。」

私はオルガンは苦手である。急には弾けない。しかし、出会って最初の朝の歌である。仕方がない。

「全員起立。今日は、『ネコの歌』を歌います。」

「♪私は ネコの子 ネコの子

おめめが クリン

おめめが クリン

おひげが おひげが

ピュン ピュン ピュン」

年を取った猫、お嬢様猫、ウルトラ元気な猫等、種類によって振り付けの雰囲気も変わってくる。

(二十六にもなってよくやるなー)と、我ながら思う。でも楽しい。

どんな猫で踊りたいか考えてくるようにと、宿題を出してしまった。実はこの曲、中学二年の時ボーイスカウト(以下BS)で教えてもらったものである。キャンプファイヤーの薄明りの中、見知らぬ仲間と打ち解けるきっかけとなった曲であった。

BS活動を初めて現在まで十八年間、楽しいことよりもなぜか苦しいことばかりが記憶に残っている。

台風の中、テントが飛ばされないようにと、一晩中眠らずにロープを張って守ったことや、完全に炭となった「コゲめし」を泣きながら食べたこと等々。目の前で友達の両足に熱湯がかかり、日ごろ教わっていた救急法が役に立ったこともあった。

BS活動を通じて、教師とは違う職業の人々と知り合い、子どものことで、一晩中話し合える多くの師や友人ができた。そして、一銭の得にもならないはずなのに、子どもたちのために一生懸命になっているリーダーたちの姿に触れることで、自分も教育に携わる仕事がしたいと思うようになった。

また、BS活動を通じて、レクリエーションの活動にも参加するようになった。楽しいゲーム、歌そしてダンス等を覚えることはもちろん、新しい仲間と知り合えるのが楽しくて、大学時代から続いている。

現在は「学校レクリエーション研究会」に所属しているが、そこでも創造性豊かな(正に『レ・クリエーション』!)先生方と友達になることができた。ついでにそこで嫁さんも見つけてしまった。

今、改めて考えると、BS活動のおかげで私は教師になって、結婚もできたような気がする。

人生って、不思議ですね。

(相馬市立中村第一小学校教諭)

 

元気な下宿のおばさん

片寄信

 

であった。下宿の大家であるおばさんに、朝・夕の食事の面倒をみてもらった。

 

福島に単身赴任した三年間は、賄い付きの下宿生活であった。下宿の大家であるおばさんに、朝・夕の食事の面倒をみてもらった。

このおばさん、すこぶる元気で、健康そのものなのである。年齢は不詳。いつだったか「女性に年を聞くのは失礼だよね、先生。」と誰かが年を尋ねたことに憤慨して私に言ったことがあった。自分がいくつになっているかなど、まったく気にしていない方なのである。

下宿人同士の申し合わせで、朝食は午前七時、夕食は午後七時から九時までの間に食べる。

朝食は下宿人全員がいっしょに取れるものの、夕食は各人帰宅した順に取ることになる。

 

 

 


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