教育年報1956年(S31)-028/73page
七、所 見
生活指導の重要性はいまさら強調する
までもなく、教科学習とともに学校教育
における二つの柱であるということがで
きよう。昭和三十一年度の重要な努力事
項として示し、その推進について格段の
措置がとられ、着々成果を見つつある
が、道徳教育はじめ取扱うべき部面の広
さと相まって今後の問題として考えなけ
ればならないものが多い。
青少年問題協議会およびその他の関係
各機関との密接な連携をもって効果的な
実施を計るとともに、生活指導全般にわ
たる組織、方法、技術等についての研究
ならびに実施について、その向上、徹底
を期さなければならないと考えられる。
なお、生活指導の手引書の作成につい
て、要望もあるので立案中であるが、ま
ず、中学、高校の生活指導に関する組織
的な、また、重要な場の一つである「ホ
ームルーム」の指導についての手引書、
作成の仕事を進めており、四月中に完成
の予定である。
第九節特殊教育はどのように振興されたか
昭和三十一年度における本県特殊教育
の特色は、教育内容が質的に向上したこ
とと、特殊教育に対する一般県民の関心
が高まってきたことである。以下、それ
らの事情と残された問題について述べ
る。
一、「公立養護学校整備特別措置
法」について
昭和三十一年六月に「公立養護学校整
備特別措置法」が施行された。この法律
によれば、国は公立の養護学校の新築、
増築に要する費用の二分の一を負担する
こと、教職員の給料その他の給与に要す
る経費の二分の一を負担すること、その
他が定められ、義務教育学校なみに扱わ
れることになった。これは、養護学校が
義務設置に向って一歩前進したものとい
える。
また右と同時に「盲学校、ろう学校及
び養護学校への就学奨励に関する法律」
の一部が改正され、養護学校の児童生徒
も義務教育学校の児童生徒と同様の国家
の援助をうけることになった。
このような法律の施行は、直接間接に
特殊教育振興についての県民の関心を高
めることになったが、具体的な施策は今
後の課題である。
二、盲ろう学校の教育
盲・ろうの児童生徒に対して義務教育
が施行されてから約十年、文部省は盲・
ろう学校を分離して設置するように勧奨
した結果、大部分の都道府県が独立校を
もつようになった。
本県においては、福島・郡山・会津・
平の四校とも「盲・ろろ」併設学校であ
り、盲・ろう分離な非常に大きな、しか
も急を要する問題となっている。
教育施設・設備からいえば、普通教室
の増設、職業科関係の教室と設備の増
設、屋内体操場の建設等は、県下四校を
通じて解決を迫られている課題である。
特に通学の困難な盲児童生徒、距離的に
通学不可能な半盲や、ろうの児童生徒の
ために、寄宿設備の充実が必要である。
なお、寄宿設備については、婦人児童課
所管の「光寮」のことと合わせて考えな
ければならない。
つぎに、東北地区盲ろう教育研究大会
が福島盲ろう学校で開催されたことは、
本県の盲ろう教育振興に大きな効果をも
たらした。
主 催 東北地区盲ろう教育研究会
福島県教育委員会事務局
期 日 三十一年六月十五、十六日
講 師 東京教育大講肺佐藤親雄
宮城県立ろう学校長 根岸保衙
研究討議 研究発表と討議は、つぎの分
科会で行われた。
1 盲学校関係 (1)普通学科班 (2)理療
科教育班
2 ろう学校関係 (1)発語成績向上班
(2)作文指導班 (3)理科教育班 (4)図工
科教育班 (5)職業科(理容)教育班
(6)自由研究班
3 事務職員、養護教員、寮母研究班
なお、三十一年十一月二十一日、福島
盲ろう学校が燃失したことは、まことに
遺憾である。しかし関係職員の適切な処
置により、児童生徒に事故のなかったの
は、不幸中の幸である。その後、同校は
福島市森合の仮校舎(輸出絹業連合株式
会社の事務所寄宿舎等を借用)で、十二
月二十一日から正常な授業を行ってい
る。
三、特殊学級の教育
県下における特殊学級の設置状況は、
小学校が一七学級(精薄学級一四、肢体
不自由学級三、児童数合計二七〇人)中
学校が三学級(精薄学級二、肢体不自由
学級一、生徒数五一人)合計二○学級と
なっている。二〇学級という数は、理想
的な状態から見れば、文学どおり「九牛
の一毛」とでもいうべきであり、今後の
増設が切に望まれる。
特に、特殊学級の設置は小学校よりも
中学校において必要であるにかかわら
ず、中学校の特殊学級数は、現在わずか
に三学級にすぎない。また管内別にみる
と、十六管内のうち半数は未設置であ
り、その中には郡山・若松等の大きな市
部もふくまれている。ここにも今後の努
力点が見出される。
特殊学級設置の気運は、各地にもり上
ってきており、郡山市では「郡山市手を
つなぐ親の会」が発会し、三十一年十一
月二十五日には第一回総会がもたれた。
その後この会は、三十二年四月からの設