教育年報1956年(S31)-038/73page

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実施した。
二、青少年指導者講習会
 これまでの青少年団体並びに青年学級
のあり方を再検討し、新しい集団活動の
方向を究明すると共に、共同生活を通し
て集団指導の方法・技術の習得をねらい
に二五才以下の青年を対象に七月中旬か
ら八月上旬にかけ、キャンプ生活による
講習会を二泊三日で、泉北(二本松町、
岳)県南(西田村、逢隈)会津(喜多方
市、関柴)浜(原町市、飯豊)で実施し
た。
三、これが地域社会にどう発展させ
 られたか
 青年学級研究集会の参加者は県北四五
県南五八、会津四〇、浜六〇の計二〇三
名、この人たちが中心になり、各郡ごと
に地教委、勉公達主催の青年学級研究集
会あるいは青年学級研究大会がもたれ
た。
 参加者は約一、六〇〇青少年指導者講
習会の参加者は、県北四〇、県南六〇、
会津四三、浜五五、計二○八名、この青
年たちが主体になって各郡市連合青年団
の指導者講習会がもたれ参加者約三、〇
〇〇それがさらに各町村青年団に発展さ
せられている。
 以上のような集会は、従来とかくみら
れたような伝達式のものから、地方の実
情にあった問題をとらえ、それを深く掘
りさげる、といったゆき方をしていると
ころに、新しい傾向が強くみられる。
四、青年学級や青年の集団にどんな
 動きがみられるか
 こうした研究集会、指導者講習会が県
から郡、郡から町村と拡大された結果、
町村の青年学級、青年団体が講師中心、
座学中心の一斉授業の青年学級から、ク
ラブ活動による共同学習の方向へ、行事
主義の青年団から、学習活動に重点をお
いた青年団の方向へ大きく進みつつある
ようにみられる。
 なお、指導資料として発刊した「青年
団のあり方」「共同学習」は、こうした
新しい活動をおしすすめるのに相当役だ
てられたように思われる。
第四節 看板公民館でよいか
 ある地域の住民は公民館を利用したこ
とがないといっている。これは無理もな
いことである。これは公民館としての機
能を果すことができない公民館である。
公民館としての施設設備を持っていない
で、いわば看板が掲げられているにすぎ
ない。公民館としての事務所もなけれ
ば、図書もない、レクリェーションの用
具もない。
 こういう公民館を公民館と名づけるこ
とが適当であろうか、正に疑問である。
さらに集会の場所として利用されたこと
もほとんどないという。こういうことは
公民館が少くとも集会の場所として利用
価値がないといえる。
 したがって看板公民館には職員もいな
いし、総合社会教育計画樹立も考えられ
ない。そこで活発な公民館であるために
1)建物の整備
2)専任職員の確保
3)住民の求める教具教材の充実
 社会教育を推進するためにはこの点を
重視せねばならぬのではないだろうか。
建物がなくて青空公民館でも公民館活動
はできるといった時代はもの過去の夢で
ある。建物のない市町村の社会教育活動
はそれを如実に物語っていると思う。公
民館活動、社会教育活動の不振の最大な
る理由は独立の建物のないことである。
 新市町村建設計画の一環として教育行
政関係者は無論のこと、一般行政関係者
も広い視野に立ち楽しく明るい将来の町
づくり、村づくりの見地から公民館に対
する理解と深い認識をもつことが大切で
あろう。
 合併後の旧町村には看板だけの公民館
が存在し、多少役に立つと思われる設備
や教具は眠っている状態であり、公民館
主事は役場の事務員になってしまったと
ころもある。
 しかしながら、いたずらに公民館万能
論をとなえず公民館の本質的な機能を果
すところのいわゆる社会教育法にいう公
民館の位置づけとその存在的価値を地域
住民の前に今こそ社会教育施設として重
要な役割をもつ公民館は反省すべきであ
ろう。
 公民館職員講習はこの目標を達成する
一つの手段として、浜・会津・中通りの
三方郡にわけて実施したのみならず、特
に都市公民館の今後の在り方を追求して
郡山に各市の担当者が集り研修を重ね
た。昭和三十年度は一ケ所であったが、
昭和三十一年度は四ケ所に分れて実施
し、参集者の便をはかってたが、情報交
換がそれだけ浅くなったきらいがある。
また都市の公民館は合併直後のことでも
あり、悩みをぶちまける程度で参集者の
満足を得るほどの結論には到達できなか
ったことは卒直に認めなければならな
い。

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