高等学校における生徒の能力・適正,進路志望等に対応した教育内容,指導方法等の研究開発について-013/82page
人の能力によって,あるいは学習の方法によって大きな差がある。一定期間内に,一定量の学習を,すべての生徒に期待することは不可能である。綿密なプログラムを作成し,教育機器を利用し,いかに学習の個別化を図っても,現在の制度のもとでは,1箇学年内に,履修したすべての単位を修得させることはむりであろう。
特に,学習者の能力の差が大きい場合には,その方法について十分配慮がなされ,いわゆる最適学習が行われたとしても,同一目標に到達するのに,時間的に著しい差が生ずるおそれがある。
単位制が,その制度のもつメリットを十分に発揮するには,履修した教科・科目は,必ず修得することをたてまえとし,修得に要する時間の個人差を認める立場から,検討を加えるべきであろう。
1単位を,50分単位の授業を35回実施すると定めるのが,すべての教科・科目にとって,さらにすべての生徒にとって妥当であるかどうか問題である。ゆとりのある教育課程を編成するために,年間授業日数あるいは授業時数を減ずること,特に,教科学習にあてる時数を減じ,体験や学習を通しての学習にあてる時数を増やすことに重きをおくならば,1単位に必要な授業時数を標準30とし,その2分の1の15時間程度の履修をおえた時点で,認定試験の受験資格を与えることなども考慮すべきである。
単に,履修した時数によって,単位の認定が行われ,学習の過程や,認定試験の内容や結果が形式的に取り扱われることは,生徒の学習意欲を高めるうえでも,また,学力の水準を維持するうえでも,効果的ではない。
30時間の授業をうけた後においても,認定試験に合格できない生徒は,さらに学習を継続すべきであり,履修はしたけれども,修得は認められないという状況は,正常な教育活動とはいえないであろう。
選択教科・科目の履修を,どの程度まで卒業に必要な条件とするかは,各学校の実態に応じて,柔軟に考えられてよいが,必修科目,科目を最少限にとどめ,大幅な選択制を取り入れることによって,生徒の能力・適性・進路に応ずるのが,今後の高等学校教育の進むべき方向であるという意見は多い。
しかし,各学校の現実は,施設設備や教員数が十分でないために,類型(コース)を設定するかせいぜい週当り時数の10%〜30%程度を選択科目にあてているにすぎない。
選択科目設定の大きな障害は,学年(クラス)制である。現在各学校では,数個のホームルームから成る学年を単位とし,時間割を編成し授業を実施しているが,この場合のホームルームは,本来の趣旨からはなれて,授業を実施するのに便利なクラスとして,取り扱われ,生徒数を同数として,時間割の操作を楽にするよう編成されている。
選択制を効果的に連用するには,ホームルームと授業を実施する単位は区別されなければならないし,学年制に固執していては,選択科目の履修は,円滑に実施できないであろう。
5) 進級,卒業の認定
進級は,学年制が前提となるものである。4)で述べたように,今後の高等学校教育では修業年限について,一応のめやすは必要であるが,1箇学年ごとに,進級を認めることの意義は,さほど大きいとは思われない。
能力・適性に大きな差があり,学習の進度について,指導方法をいかに研究工夫しても,同一期間に期待するだけの効果をあげることが不可能な高校教育では,もはや,学年制をとる意味は,単に順育上の処理が容易であるということぐらいしか考えられない。
同一年令層の青年が,同一の内容を,同一の形態方法で学習することの効果は,旧制の高等学校,あるいは名門と称せられた中学校の生徒たちのよ