高等学校における生徒の能力・適正,進路志望等に対応した教育内容,指導方法等の研究開発について-015/82page
いる。
しかし,いかに内容構造が改善されても,教育活動は,教師と生徒との間のダイナミックな人間活動であるから,教師の側にそれを生かすだけの力量がなければ,具体的にいえば,毎日の授業を効果的に実施する方法論がなければ,高等学校教育は改善されない。
一般に,高校教師は,指導方法について関心がうすいといわれているが,ほとんどすべての中学生が進学してくる現実を客観的にみつめ,学習指導のみならず,生徒指導,進路指導等,全般にわたって,指導法の改善に努力する必要がある。
1) 学習指導
学習指導は,換言すれば,いかに授業を行うかということであり,授業の改善に,高等学校に関する諸問題の解決の糸口がある。
授業を,狭義に教科学習に限定せず,教科外の諸活動を含めた広い意味でとらえ,その方法の改善を図らなければ,どのような教育内容も定着せず,生徒は3年間通学して,何も得ることなく,高校を卒業していく悲観的状況が継続するであろう。
授業の基本的態度は,生徒の側に立って,計画し,実施することである。これは,自明のことのように思われるが,高等学校におりる授業の実態は,この点について満足すべき状態ではない。固定した指導方法が,高校教師のひとりひとりにしみついている。それも,科学的,客観的理論に基づくのではなく,それぞれ個人の経験を土台にした方法である。
現在の高等学校の授業は,生徒の実態に応じて教育内容を柔軟に弾力的に取り扱わなければ,おそらく成立しないにもかかわらず,高校教師の指導法には,変化に適切に対応できる余裕がなく,授業は単調なくり返しでおわることが多い。
生徒の実態を客観的には握する方法を確立し,その実態に適応した内容を定め,効果的な指導法によって,いわゆる最適学習を展開するまでには至っていない。
学力不振生徒の指導についての経験が,高等学校教育の中に,ほとんど累積されていないことについては,小学校,中学校の教師たちの協力助言をうけることも大切である。
最近,教育工学の視点から,授業の研究に取り組む学者たちが提供してくれる資料は,われわれの授業研究にとって,たいへん貴重であり,大いに役立っている。教育工学=教育機器という誤解を捨て去り,授業を客観的に観察し,目標にせまる最も効果的な方法を探究するのが,教育工学的発想であることを認識すべきであろう。
現代の教育活動が,基本として,個別化を指向していることは疑いない。しかし,学校という集団の中で,いかにして個別化を図るかについては,学習心理学者も,すべての学校,教師,生徒の期待に応ずることのできる方法は示していない。
学者の諸説を参考にしながら,教師自身の経験を生かして,それぞれの教育現場で,成果をあげる努力が望まれる。
個別化は,授業の方法論だけの問題ではなく,学校における教育活動の全体を通して,教師と生徒の接触の中で,成立するものである。
2) 生徒指導
生徒指導ということばのもつイメージは,生徒の生活指導であり,あるいは,風紀取締り,非行防止,校外補導であって,授業をはなれた生徒の生活に関する教師の指導と解されている。
授業は,各教科担当教師の責任において実施され,その他の指導は,かぎられた数人の生徒指導係にまかされて,二つの遊離した組織が,同じ生徒たちにはたらきかけるという非能率的な,共通理解に乏しい指導が行われてきたうらみがある。
高等学校教育における教育課程の意義は,学業指導を効果的に確立していくことにあり,単位制選択制を大幅に取り入れた教育課程の実施に当た