高等学校における生徒の能力・適正,進路志望等に対応した教育内容,指導方法等の研究開発について-018/82page

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いのである。

形成的評価は,学書の各段階で実施されるものであり,生徒の学習と,教師の指導が,効果的に行われているかどうかを確かめ,次の授業の効率を高めるよう軌道修正する資料となる。

単位の認定にあたって,この形成的評価を取り入れるには,計画的に日常の評価を記録しなければならない。この場合の評価項目は,目標と表裏一体をなすとともに,生徒の学習方法や態度も記録することが望ましい。

形成的な評価計画が具体的に樹立されれば,総的評価も,おのづから好ましい成果をみせるようになり,生徒も自己の学習に正しい認識をもち,教師に対する信頼感も高まるであろう。

(4) 研修

いかに施設設備を充実し,教育内容を科学的,合理的に編成しても,教育は,結局のところ,人間が人間を相手に営む仕事であり,その効率を考えるとき,教師の質が最も重要な要素となる。

現在の高校教師たちが,すべてすぐれた教育者であるということができれば,すばらしいことであるが,他の人間活動の分野の場合と同じように,個人的にさまざまな差があるのは当然のことである。

教師にとって重要なことは,どんな資質能力をもっていても,自己の専門分野について,また,指導技術について,たえざる研修を深めることであり,同時に,日々の教育実践をきびしく自己評価する謙虚さをもつことである。

1) 生がい教育

高度に発達した技術社会では,生がいを通して学習を継続することが必要とされ,すでに世界の各国で,諸教育機関が成人に対して開放され,研修の場を提供している。

このような生がい教育が,最も必要とされるのは,教師自身であろう。青年たちに,新しい未来社会に適応して生きる道を教えるのに,教師の側に,過去に対するするどい洞察とともに,未来への見通しがなければ,成果をあげることはできないであろう。

従来,多くの高校教師が,専門教科に閉じこもり,数年にわたる授業の後に,同じ教材を,同じ方法でくり返すだけの単調な授業となり,生徒をひきつける,先見性やざん新さを失い,生徒と教師の間に,有機的な人間関係が生れないのはざんねんなことである。教師自身に学ぶ姿勢がなければ,生徒に学ぶことの重要性をいくら力説しても,空しさが残るだけである。

2) 生徒理解

教師にとって,生徒を理解することが重要であることは,自明のことのように思われているが,高校生に関する諸調査によれば,教師を相談相手として選ぶ高校生の割合は,決して高いものではない。これは,教師と生徒の間に,相談し話し合えるふんい気がないことを示しているし,観念的には成立していを生徒理解が,実際には,指導のうえに生きていないことを立証している。

人を理解するのはむずかしいことであり,ときには,不可能といってもよいであろうが,教師と生徒の間では,教師の側から,生徒を理解しようとする忍耐強い働きかけがなければ,効果的な授業の成立は望めない。生徒理解は,きびしい努力を必要とする。なぜなら,生徒からみれば,教師は人間であること以外には,まったく異質の外部的存在であり,かれらが,積極的に接近し,理解することなど必要としない人間集団なのである。

教師が生徒の尊敬のうえに立ち,たがいに信頼感で結ばれているというのは,小数のエリートが自己修練の場として学校を選んだ19世紀発想であろう。

義務教育化した高校の教師たちが,生徒たちとの間に横たわる,知的な,あるいはまた,情的なギャップをうずめるには,生徒の生活の場にはい


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