高等学校における生徒の能力・適正,進路志望等に対応した教育内容,指導方法等の研究開発について-024/82page
ある。
ヨコの統合原理
学校が教育のすべてを引き受けたり,学校に教育のすべてを任せたりすることはあやまりで,学校教育の背負うべき領域,学校外教育の背負うべき領域をはっきりさせて,その上で相互間の密接な協力をはかり,全体としての教育に奉仕していくべきである。
このような生涯教育が要請し期待する教育課程の基本方向を具体的には握するためには別の観点から統合の原理を解釈してみる必要がある。
それは,次の三つである。
1 発達との統合
2 生活との統合
3 生命との統合
第1の点からは,人間の能力の発達の個人差に応じた学習課題をとりあげていくことが求められてくるはずである。
第2の点からは,生活に密着した内容もしくは学習内容が実生活に対してもっている意味の理解をとりあげることが望まれてくるであろうつまり,抽象的な世界となりやすい学校教育に対して,知識と行動,学習と勤労とのフィードバックや総合を求めているのが生涯教育の立場であろう。
第3の点からは,ただ単に生活に役立つという功利主義にたつのではなく,「自らの力による生命の充実」という生涯教育究極の目標に照準をあわせ,自己教育への意志,生涯学習への積極的な態度を育てる教育課程の検討をせまられてくるであろう。
国語科教育をこの視点において考えてみると小,中,高を貫く理念として,第2,第3を基盤とするものがなければなるまい。そして,その具体化は第1を考慮しつつすすめられねばならないということになる。
2) 国民教育の立場から
高校進学率は90%をこえ,なお上昇傾向を示しており,いまや高校教育は国民一般に普遍化し,国民教育としての実態が既成事実化していることは否めない。そこで,たとえば「高校は義務教育終了後のほとんどすべての者を対象とする国民教育機関である。(都道府県教育長協議会高校問題プロジェクトチーム)」とか,「国民として共通に必要とされる基礎的,基本的な内容を重視するとともに児童生徒の個性や能力に応じた教育が行われるようにすること。〜小学校,中学校および高等学校を一貫したものとしてとらえ〜小学校及び中学校に加えて高等学校の低学年の段階までは,基礎的・基本的な内容を共通に履習させるようにし〜共通に履習させるほど十年間の内容については国民として必要とされる基礎的・基本的な内容に精選を図る必要がある。(教育課程審議会中間まとめ)」とか言う提案がなされるわけであろう。
この場合,国語という「ことば」そのものを中心教材とし,その表現,理解を指導の中心としている国語科は,他教科,たとえば社会科におけるような知識のつみあげや芸術科における技能,鑑賞力の養成というものと異なった性格をもつだけに,その国民として必要な基礎的な内容を具体的なものとしては握することがむずかしい。
従来の中学校までの国語科教育の内容が国民として必要な基礎的・基本的な内容であるということは一般的には理解されるにしても,具体的に表現の面ではどういうことがわかり,できることなのか,理解の面ではどういうことがわかり,できることなのかはなはだあいまいである。これを明瞭にすることが,国民教育の視点にたった国語科教育のあり方を決定する要素であることはまちがいないと思う。