高等学校における生徒の能力・適正,進路志望等に対応した教育内容,指導方法等の研究開発について-026/82page
1 日常生活に必要な国語の基礎的能力を定着させる。
ことが,高校の国語科の目標として設定される必要がある。
それをもとにして,
2 実践的な国語の能力を育てる。
ことや
3 読書の意義を理解させ,意欲を育て,態度を養う。
ことや
4 目的に応じた文章の性格や傾向を理解させ,思想,感情をもっともふさわしく,的確に表現できる能力を養う。
ことなどを,実践的な学習を加味して,観念的なものでなく,体験的なものとして身につけさせていくべきであろう。
さらに,このような言語生活,言語文化の歴史的土台を理解することによって,国語能力のより確かな定着と発展が期待されると思われるので,
5 古典への関心を深め,興味を喚起する。ことも目標の一つに加えられなければならないであろう。
以上のような具体的目標への実践を通して,「自己実現」や「個性伸長」などの能力が身についていくものと考える。
目標の1に見あう「基礎国語」を必修科目として2,3,4,5をまとまったものとして学習させる総合国語や分けた形で学習させる「実践国語」,「読書」,「作文」,「国語表現法」「古文」,「漢文」,「文学」,「論説と評論「国語史」,「文学史」などを選択科目として,それぞれの目標を二の教科目標達成の具体化としてたてていくことが望ましい。
ただし,科目の設定については,現在の高校入学者の基礎能力はどの経度であるのか,そして,小学校,中学校の国語教育における基礎とは何なのか,その中で何が身につき,何が身につかないで高校に入ってくるのかということをもとになされるべきであろう。
一方,大学への連結ということや社会への連結ということも考えて科目設定はなされなければなるまい。
ところで,この二つの観点―よりどころとでもいうべきか―は,各高等学校によってちがいがあり,一様に考えることはできない。それゆえに福島県下80の高校があるとすれば80通りの科目設定がなされるべきであろう。それが生徒の側から考えた,生徒の立場にたった教育課程の編成であるはずである。
ところが現状はそうなっていない。教育課程は生徒の進路に応じて―それはタテ前だけであるにしても―くまれている。未来の到達点にむかって,その生徒の教育課程がきまり,歩んできた道はかえりみられることがなかったのではないか。小中高一貫の教育をうんぬんすることは,そこではできないのではなかろうか。
もちろん,ひとりひとりの教育課程は理想であって実現可能とは考えられない。しかし,できる限り理想にむかっての努力はしなければならない。そのためには,入学生徒の基礎能力が各高校によってどの程度差があり,それが,ほぼいくつの段階にわけられるかを調べることが必要である。
そのいくつかの段階にあう科目を用意し,それらによる教科構造を基本型として,さらにその変型を考えていけば,ある程度生徒の側にたった教育課程編成が可能になると思われる。
このような考えにたって,「高校における国語の基礎学力の現状」を「生徒」と「教師」の両面から調査してみることにしたわけである。