高等学校における生徒の能力・適正,進路志望等に対応した教育内容,指導方法等の研究開発について-079/82page

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総合的立場からの問題点と改善意見

1 その問題点

高等学校の入学率が,今や,90パーセントをこえ,生徒の多面的な能力・適性,進路等に対応するためには,高等学校は,国民教育の場であるとの発想のもとに,教育内容を編成し,それに基づく指導方法などを検討することは,必須の課題となっている。

高等学校教育の量的拡大がもたらされた一方,高等学校生徒のうち,現在の指導内容を理解し,授業についてゆける生徒は,30パーセントにすぎないという指摘は,過半の生徒には,小学校,中学校の学習内容が定着していないことを示している。

このことから考えれば,上記の過半の生徒に焦点をあてる指導が,高等学校の教育活動を改善・充実してゆく方策の基本であることはわかるが,これらの生徒のために他のすぐれた生徒が犠牲になるのは国家的損失だとの意見も無視できず,過半の生徒をたいせつにしなから,一方において,すぐれた能力をもった生徒たちを伸ばしてゆかねばならないところに,具体的な困難性がある。

この問題の解決の要請は,現在新しくおこった問題ではなく,昭和45年,教育課程の改訂により,生徒の能力・適性,進路に応じた教育課程のくふうが要請され,各高等学校においても,それなりの努力がなされたところであるが,次第に,各高等学校の教育課程も画一化の途を辿っているのは否定しがたい傾向である。端的にいえば,大学進学指向型,就職指向型の二つに大別されているのか現実である。つまり,現在のところ.その教育課程の内実は,生徒の能力・適性に対応したものになっているかという点に疑問がある。

以上の実態からみても,この問題の根は深い。しからば,この問題は,なにに起因しているのであろうか。その代表的な事項ごとに,説明を加えておく。

(1) 高等学校教育の理念の保守性

生徒にとって,高等学校は,一般に,3か年の生活をする場であるが,教える人の大半は,高校進学率が低率であった時と同じ教師である。そこで,教師から,生徒の学力低下を嘆く声が生まれ,それとともに,高等学校の一定の水準の保持の主張かなされている。

しかし,生徒の能力・適性,進路の多様化の現実の前には,従来の高等学校の内容水準の維持の主張は,多数の生徒の学習の落ちこぼれを無視しており,学校教育の意味を失い,高等学校教育の理念の古さと評せざるをえない。

(2) 教育課程の固定化

教育課程の弾力化を妨げている理由の一つは,大学進学の対応として,個々の生徒の学力差を無視して,画一的に高度な内容の履修を行っていることであり,第二の理由は,生徒の能力・適性のは握か困難であるか,あるいは,不徹底であるかによることであり,第三の理由は,学力不振生徒の指導についての具体的対策をもっていないことと考えられる。以上の理由によって,教育課程の弾力化が妨げられているのが事実である。

(3) 教育内容の固定化

高等学校教育を終えた者に,更に,学習を継続する意欲や,態度を持続することが要請されている。しかるに,高等学校の教育内容か,知識の修得に偏する傾向が強く,それが,現在の若者を頭の大きい人間にしている。生徒を健康な社会的存在として育てるためには,知に偏する教育をいか


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