研究資料分類基準G2-04高等学校社会科「現代社会」の研究-081/170page

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資料1) 世界人口会議

世界人口会議は1974年8月,ルーマニアの首都ブカレストに130か国の代表が集まって開かれた。会議の議題は,1)最近の世界人口の動向と将来展望,2)人口変動と社会・経済開発,3)人口・資源・環境,4)人口と家族と基礎検討を積み重ねたうえで,5)世界人口行動計画へともっていく。
この行動計画の中心が,人口目標と政策勧告の章である。病気や死亡の農村・都市格差,階級,人種・国際格差をなくそう。平均寿命をのばそう。乳幼児の死亡率を85年までに120%以下にしよう。子供の数と産む間隔を決めるのは夫婦の権利であり,すべての人が家族計画の情報,知識,手段を利用するようにしよう。過密過疎の人口分布アンバランスを調整しよう。国際移動を阻むな等々,まことに具体的であるが,何といっても議論の焦点は「人口抑制」であった。
増加抑制にはいつまでにどれくらいという目標を設定しなければならない。そのために政策推進を勧告したいところだが,これが難しい。
貧乏人の子だくさんをなくし,貧困の悲劇を減らそうという発想で,産児制限政策が行われている合衆国は,世界各国が一丸となって強い抑制策をと主張する。
日本の10倍もあるアマゾン流域のほとんどが人跡未踏の地で,あの広い所にどうやって人をふやすべきか難しいといろのが人口問題と考えているブラジルは,合衆国の主張に対して,人がふえなければ経済発展はない。これは歴史の法則であり,人口増強こそわが国の人口政策。アメリカの言い分は既得権擁護ではないかと反論。
「人口問題などない」(アルゼンチン)「開発で経済発展を図ることがすべてに優先する」(アルジェリア)など,ラテンアメリカ,アフリカ,東ヨーロッパ諸国は人口抑制論打倒に出た。加えて,人口だけ切り離しての論議でなく,先進国の資源搾取,超大国の帝国主義,人種差別なども論争のたねとなった。そこに展開されたものは,政治経済理論であり,国家エゴが渦まき,他国への攻撃に終始した。地球規模で考えるというような視点は全くない。
この政策論争にもかき消されず,世界人口行動計画を作ろうという同意ができ,修正はあったが,とにかく行動計画が採択されたことは,話し合いによるコンセンサス方式の成果といえよう。

(「朝日新聞」1974.8.6)


資料2) 食料生産と人口の地域別推移(1969〜71年=100)
資料2) 食料生産と人口の地域別推移(1969〜71年=100)
(『日本国勢図会』1981年 P219〜220)


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