研究資料分類基準G2-04高等学校社会科「現代社会」の研究-112/170page
資料1) 福島県の特色ある地域の住まいの構造会津地方は,冬は雪が多く日照少なく,馬屋・便所・風呂場などをホンヤ(本屋)にとり入れた大きなつくり方のものが多い。いわゆる曲屋でウマヤチュウモン(馬屋中門)とか中門造りという。風雪を防ぐため腰高の障子を立てきった家も多い。また,ニワと称する作業場の土間を家の中にとり込んで広くしている。浜通り地方は概して冬暖かで夏涼しいが風が強い。雪はほとんど降らず,空気の乾燥した晴天の日が続く。馬屋・便所・風呂場を別棟とし,雨戸は朝夕あけたてする。家の中のニワもあるが,外に広くとる。
中通り地方は,一般に農村地帯で別に特色はないが,伊達郡・信夫郡(現福島市)から田村地方にかけて養蚕の盛んなところではそれに適する大きな家の構造がみられる。
つい最近まで農村に圧倒的に多かった茅葺き屋根は姿を消そうとしている。(中略)
屋敷内にはオモヤとかホンヤ・オオヤと呼ばれる建物を中心に,コヤと総称される馬屋・納屋・作業場・風呂場・便所がある。会津の一部では馬屋が中門造りになっている。その他,屋敷内にインキョ(隠居)のある地域もあれば,ところによりコンニャクムロ・ハタヤ(機屋)そのほかさまざまの付属の建物が見られる。馬屋のうしろのイナベヤ(稲部屋)は若夫婦の寝部屋ともなっていた(耶麻郡猪苗代町内野)。耶麻郡西会津町弥平四郎辺のジキヤは木地挽きをする土間であった。オモヤはオモテ(郡山市逢瀬町)ともいい,トンボグチ(トボソグチで家の入り口)から入ると,たいていの農家では広いニワがある。作業場がほかにできてからは,この広さは不要になって,奥の大部分に縁を張っていろりをつくり,カッテとか台所とよぶ一つの部屋に今はなっている。もとは稲こき・するすびき(磨り臼ひき)・わら細工などすべてここでしたから二間半から三間(約4.5〜5.4メートル)四方もある広さが必要であった。もともと寒い会津地方などでは,土間と台所とで家の大部分を占めるくらいであった。安達郡安達町上川崎のような和紙をすく地方でも広い土間が必要であった。ニワ・台所の上の部屋がナカノマ(中の間)で,オマエ(大沼郡会津高田町西勝)とも呼ばれ,客接待に当てられる。ナカイドコロ・ウワイドコロなどともいい,炉はシタンド(下炉)に対してウワンドともいう。大きな家ではナカノマが二つにもそれ以上にもなることがあるが,これに続く上の部屋がザシキ(座敷)で多くは畳があり床もついている。ジョウダンノマともいう。ナカノマが仕切られた場合,裏の部屋はナンドになる。ザシキもそういう場合,オクザシキとかウラザシキともいうが,やはりナンドとも呼ばれた。ナンドは寝部屋や産室に当てられたものだが,西勝の安永(1772〜1781)ごろ建てられたという古い家では,ナンドは3畳で,主人夫婦の寝室で他の者の入室を許さず,米や重要書類も置き,入口には鍵もあった。畳を常時敷いておくのはザシキぐらいで,ナカノマは盆・正月や特別の来客の時などに使うていどで普段は積み重ねておいた。台所は板の間で,せいぜいござかむしろ程度にすぎなかった。(岩崎敏夫著『日本の民俗』福島,第一法規 P19〜30)