研究資料分類基準G2-04高等学校社会科「現代社会」の研究-113/170page

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資料2) 障子と畳

さて,食事における軽さの象徴が箸なら,住居におけるそれは,さしずめ障子である。杉の桟に,美濃紙をはった障子が,よく手入れのゆきとどいた敷居の,ふかさ2,3ミリぐらいの溝の上を,指一本でスーツとあく,などという光景は,これまた外人の目をみはるところである。(中略)
日本の和風住宅の室内は,たいていこの障子や襖でしきられていて,それらを全部とっぱらうと,家じゅうが「ひとへや」のごとき状態になる,というのが,ひとつの大きな特色である。むかし,ところによってはいまでも,田の字型をした農家では,冠婚葬祭のときに,障子や襖をみなとりさって,招宴の場としていた。そういうことをかんがえあわせると,日本の住宅は,基本的には「一室住居」だということが理解される。一室住居の室内を,障子や襖という一種の「目かくし」により,いくつかのコーナーにしきって,家族が生活しているのだ。それは日本のすまいの空間分割の大きな特徴である。(中略)
障子そのものは,奈良時代にはなく,平安時代の寝殿づくりになってはじめて登場する。さいしょは舞良戸といわれる板をはった障子,ついで唐紙障子,つまり襖である。これに和紙をはったあかり障子今日いう障子が発明されるにおよんで,日本の室内空間が,かぎりなく膨張する物質的基礎があたえられた。すなわち襖や障子は,その軽さによって室内の空気をみだすことなく,スムーズにあけしめすることができると同時に,いちおうの室内のしきりともなり,さらに襖の上にとりつけられた欄間や障子の和紙は,室内の奥ふかくまで,戸外光線,すなわちあかりをおくりとどけることができるのだ。
西洋人は,日本の家が木と紙でできている,ときくと,どんなにチャチなものかと想像するが,しかしその紙によって,何十畳敷,何百畳敷という大広間を,つぎつぎつないでゆく書院建築のような巨大な「一室空間」に接すると,おどろきの声をあげるだろう。桂離宮などは,その日本の「一室空間」文化の最高傑作のひとつである。モンスーン地帯にぞくする雨の国でありながら,紙一枚をもって「壁」にかえる,という曲芸的な発想を生みだしたところに,日本建築のおもしろさがある,といってよい。

畳という床材料は,世界の住文化のなかでも,非常にめずらしいもので,日本に独得に発達したものといえる。フランスの知日家のあいだでは,日本人なみに会話が熟達することを,タタミゼtatamiserといっているそうだが,そういう「動詞」が生れるくらい,畳は日本とその文化を象徴するものになっている。
さて,その畳の特色は,一口にいって,座具にも寝具にも使える敷物を,ユニット化して,へやの中にしきつめたもの,ということができる。ではこのように,ユニット化された敷物というのは,どうしてつくられてきたものだろうか。それは,じつは,私たちの室内生活のもうひとつの大きな特色である,椅子とベッドをほとんど発達させてこなかった,という日本の住空間の歴史と関係がある。
原始住居が土間生活であった,ということは,樹上住居などのごく一部の例外を除いて,世界的に共通したことがらであった。日本もその例外ではないが,ただその原始住居である竪穴住居などの土間には,早くから藁や籾をしき,その上に座ったり,寝たりする生活がおこなわれていた。言いかえると,日本人は藁や籾を土間のうえに敷きつめて暮してきたのである。つい最近まで,日本のいなかの農家では,まだこういった生活がつづいていた。

(上田篤著『日本人とすまい』岩波新書 P49〜54,P67〜68)


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