研究資料分類基準G2-04高等学校社会科「現代社会」の研究-119/170page

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資料1) 文化の摂取

このようにして行政・軍事・教育・文化・産業のあらゆる方面にわたって,官僚独裁のもとに,西洋の近代文明の物質的成果が,急速に学びとられていった。「洋燈亡国論」というような,西洋伝来のものとはことごとく反対する極端な攘夷思想も,1870年代にはなお一部の士族には強かったが,それは大勢に影響するものではなかった。
維新以後の西洋文明の摂取は,原始から文明への移行期とそれにつづく飛鳥・奈良朝の貴族の隋・唐文明の摂取につぐ,日本歴史上に第2回目の国をあげての外国文明摂取である。そして古代の隋・唐文明摂取は,法律制度,生活様式,芸術,仏教など,人民支配の機構,技術と貴族の生活を豊かにするものにとどまったが,近代の西洋文明の摂取は,それだけでなく,生産技術,生産様式の変革にまで及んだ。このてんでは原始から文明への過渡期の弥生式文化の伝来にはじまる朝鮮・中国文明の摂取と共通している。ここにその第一の特徴がある。
しかし弥生式文化は「摂取」というよりも先方から日本に「伝来」したものであり,その後の「摂取」も,主として外国から渡来した,またはつれてきた技術者や学者・僧侶らとその子孫に依存したが,明治のそれは,資本主義生産も,一般国民を兵士とする軍隊も,近代科学・技術も,その芽はすでに維新以前にあったので,この文明の輸入は短期間に,また主として日本人の自力で成功した。ここに第二の特徴がある。
西洋文明の摂取,「文明開化」は廃藩置県後数年間の流行語となり,それは民衆の風俗にも及び,「ざんぎり頭をたたいてみれば,文明開化の音がする」などとはやされた。しかし,風俗すら政府の強制,いわゆる行政警察の圧力によって変えられたので,児童の義務教育でも,国家権力でうむをいわせず親に義務づけ,それに反対する民衆の一揆はようしゃなく武力で鎮圧した。…(中略)…
すべて上からの近代化が下からの近代化を圧倒した。ここに第三の特徴があった。上からの近代化は,いいかえれば「上」=支配者たちの要求の実現である。とりわけ軍事の技術・装備の近代化が中心となり,産業も科学・技術も先にのべたように軍事が優先した。医学も軍事目的の外科医学がまず発達した。近代音楽は軍楽からはじまり,近代西洋数学の移植も陸海軍学校からはじまった。西洋画法は,工部省の大学校の図学からはじまる。このように軍事的性格が強いところに,第四の特徴がある。
しかし維新以来の外国文明摂取は,以上のような為政者による人民支配と収奪のためのそれのみではなく,現存の支配に反対する人民の立場に立った理論・思想の輸入も,またはじまった。ここに第五のもっとも重要な特徴がある。これは15・16世紀の切支丹と西洋文明の輸入のさい,日本歴史で最初の芽が出,その後一たん絶滅され,18世紀後期以後の洋学にふたたび芽ばえた要素の,新たな発展である。その最初のものが,自由民権の思想である。

(井上清著『日本の歴史』中,岩波新書 P158〜160)


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