研究資料分類基準G2-04高等学校社会科「現代社会」の研究-120/170page
資料2) 海外文化への寄与しかし,この時代の造形美術の領域で,特筆大書しなければならないのは,西洋美術界との交渉のはじまったことであった。西洋画の輸入は,すでに16世紀の南蛮文化の時代にも見られたが,その場合は,むこうの作品を丸写しにした油絵を生んだにとどまった。この時代に,オランダを通じて輸入された西洋画は,蘭学の流行と平行し,司馬江漢のような洋画家を生み出したばかりでなく,伝統的日本画の領域にも,遠近法その他の洋画の手法の輸入されたことは,浮世絵版画のいたるところに見られるとおりである。南画家渡辺崋山の肖像画の迫真力も,洋画の写実主義をとり入れてなければ,あれほどにはいたりえなかったにちがいあるまい。北斎・広重の風景版画にも,雲の描写その他に洋画の手法をとり入れた痕跡がはっきり認められる。
しかし,重要なのは,西洋画の日本画に及ぼした影響よりも,西洋画の影響を受けた日本画が,幕末の開国以後ヨーロッパに輸出され,西洋絵画史に決定的な影響を与えた事実であった。古典的リアリズムのくらい描写に拘束されていた西洋画から,一転して鮮明な色彩で明るい画面を構成する後期印象派の新しい境地が打開されたのは,いろいろな歴史的条件によるとしても,少くともその重要な一つとして,北斎や広重の版画の色の取り扱いから受けた刺戟を数えなければならないことは,疑う余地のない事実である。たとえば,中間色の媒介のない原色を配列して世人を驚かせたエドワールーマネーの表現は,スペイン絵画から受けた色感を発達させたものでもあるけれど,それよりもいっそう決定的であったのは,1855年あたりからしきりにパリの画家たちの関心を呼んだ浮世絵版画の影響であって,平面的な表現,単純化された線描,明るい色感など,マネーの表現の本質をなすものがそこからみちびきだされたことを美術史家は指摘している。またある美術史家は,クロードーモネーをその隠棲地に訪ねたとき,「その邸宅の廊下に浮世絵版画の数多くが並べて懸けてあった」こと,「そしてそれ等の浮世絵の明るい色彩が,また居間広間等にいっぱい懸けてあったモネー自身の作品と色彩的に直接に連関している事実をも認識して,甚だ興味を感じた」ことを伝えている。(矢代幸雄氏『日本美術の特質』)
かつて大和絵が宋に輸出されて高く評価され,狩野派の安土山屏風絵がローマ法王に贈られた先例はあったにしても,それによって中国やイタリアの絵画になんらかの影響を与えたわけではなかった。ところが,浮世絵版画にいたって,西洋絵画史の上に決定的な影響を及ぼす役割を演ずるにいたったのは海外文化の受容ばかりで海外文化の発展に貢献する機会のほとんどなかった日本の文化として,真に画期的な現象であったとしなければならない。日本文化の西洋文化に与えた影響に関する基礎的事実の調査さえ十分になされていない現在までの知識で,立ち入ったことをのべるのはさしひかえるのが妥当と思うが,浮世絵版画の世界文化史上における地位は,俳句がイマジズム(1910年ごろ,英米においておこった自由詩運動)の詩人たちにあたえた影響など僅少な類例しか見出されない現在では,特筆してよい事実であろうと考えられるのである。(家永三郎著『日本文化史』岩波新書 P209〜211)