研究資料分類基準G2-04高等学校社会科「現代社会」の研究-135/170page

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資料1) カルチベートされた人間になれ

もう君たちとは逢えねえかも知れないけど,お互いに,これから,うんと勉強しよう。勉強というものは,いいものだ。代数や幾何の勉強が,学校を卒業してしまえば,もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが,大間違いだ。植物でも,動物でも,物理でも化学でも,時間のゆるす限り勉強して置かなければならん。日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ,将来,君たちの人格を完成させるのだ。何も自分の知識を誇る必要はない。勉強して,それから,けろりと忘れてもいいんだ。覚えるということが大事なのではなくて,大事なのは,カルチベートされるということなんだ。カルチュアというのは,公式や単語をたくさん暗記していること事ではなくて,心を広く持つという事なんだ。つまり,愛するという事を知る事だ。学生時代に不勉強だった人は,社会に出てからも,かならずむごいエゴイストだ。学問なんて,覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども,全部忘れてしまっても,その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。そうして,その学問を生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。ゆったりと,真にカルチベートされた人間になれ!これだけだ,俺の言いたいのは。

(『正義と微笑』太宰治全集 筑摩書房)

資料2) 学問とは

亡くなった矢内原元東大総長はある講演のなかでつぎのように述べている、「学問とは何であるかということはむずかしい問題でありますが,私は『真理の研究』が学問であると考えます。何でも知ることが学問ではない。知るということは好奇心から出発し,学問研究の出発点は好奇心でありますが,好奇心すべてが知識になるわけでなく,すべての知識が必らずしも学問であり,学問的知識となるわけではありません。真理というものをわれわれが認め,それを尊重し,その真理を探究することが学問であります。それでは真理とはどういうものか。これまた簡単にいえないでありましょうが,要するに人間を生かしめ,人間に生存の意味と目的を自覚させ,そして人間が人間らしく生きることができるように光を与えるものが真理であるはずであります。人が人を殺し,人が人であるべき意義を見失い,人に不幸を与え,平和を害する,そういうものが真理であるはずがない」。
学問は単なる知識ではなく,真理である知識であること,また学問は人の幸福,平和のためのものであること,がこの主張の骨子である。人間,とくにこれから生き抜いて行こうとする青年こそ自分の生命や生活を大切にするという目的のために,学問は意義ある方法なのであり,学問そのものが目的なのではない。

(『新学問のすすめ』雄渾社 P19〜20)


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