研究資料分類基準G2-04高等学校社会科「現代社会」の研究-140/170page
資料6) 主体性(a) われわれはこんなふうな言い方を心得ている。「キケロはこう言っている。これがプラトンの考え方だ。これはアリストテレスの言葉そのものだ」。しかし,われわれは,われわれ自身はどう言うのだ。どう判断するのだ。(c)どう行なうのだ。(a)鸚鵡でも同じようなことはいえるだろ。
(『世界の名著』モンテーニュ 中央公論社 P100)
資料4) 学ぶことと考えること
子曰わく学びて思わざれば即ち罔く,思いで学ばざれば即ち殆う。
子曰,学而不思則罔,思而不学則殆,先生がいわれた。
「ものを習っているだけで自分で考えてみないと,まとまりがつかない。考えているだけでものを習わないと疑いがでてくる。
※学ぶとは,つまり先生や書物について先王の道を習うことである。先王の道は,人間一般のすぐれた経験の結晶である。思う,つまり考えることは個人の理性のなかだけにたよった思索である。この対立は,西洋における経験論と合理論との対立のそれを連想させる。この孔子のことばは「知識は経験とともにはじまるが,思惟がなければ盲目となる」として,経験論と合理論とを総合したカントの批判哲学を思いおこさせる。孔子以前の中国に経験論と合理論との対立があったわけではないから,カントのように理論的ではないけれども,一方的な立場を固執しないで,たえず両面からものをながめる孔子の立場は,慎重なカントの理論的立場に通ずるものがあることは争えない。(『世界の名著』孔子・孟子 中央公論社 P81)
資料5) 人間は考える葦
人間はひとくきの葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。だが,それは考える葦である。彼をおしつぶすために,宇宙全体が武装するには及ばない。蒸気や一滴の水でも彼を殺すのに十分である。だが,たとえ宇宙が彼をおしつぶしても,人間は彼を殺すものより尊いだろう。なぜなら,彼は自分で死ぬことと,宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。宇宙は何も知らない。
だから,われわれの尊厳のすべては,考えることのなかにある。われわれはそこから立ち上がらなければならないのであって,われわれが満たすことのできない空間や時間からではない。だから,よく考えることを努めよう。ここに道徳の原理がある。
考える葦。
私が私の尊厳を求めなければならないのは,空間からではなく,私の考えの規整からである。私は土地を所有したところで,尊厳を増すことにならないだろう。空間によっては,宇宙は私をつつみ,一つの点のようにのみこむ。考えることによって,私が宇宙をつつむ。(『世界の名著』パスカル 中央公論社 P204)
資料6) 知と学
「知と学と。人間のこの最高のたまものを軽蔑するがいい―そうすりゃ悪魔に身を引き渡したわけさ。破滅はまちがいなしさ。」
(『世界の名著』ヘーゲル 中央公論社 P162)