研究資料分類基準G2-04高等学校社会科「現代社会」の研究-142/170page
資料1) 生きがいは精神のパンある年配のサラリーマンの「身上相談」。
「私は,この会社に満25年勤めて50才になります。率直にいって可もなく不可もなしの成績で,一昨年までは部長でした。ところが資本構成が変わって大会社から新部長が派遣され,私は,すわるところは部長と同格ですが,肩書きもなく仕事も与えられません。周囲は忙しくて渦を巻いているのに,手も口も出すことができないのです。上司に仕事をくれといってみましたが,お茶をにごした返答しか得られませんでした。………実際にそういう境遇におかれないと現実感はないと思いますが,『人はパンのみにて生くるにはあらず』と考えるとき,精神的な疎外感というものは,時に肉体的暴力以上の苦痛を与えるものです。昇給もしますしボーナスもくれます。しかし仕事はくれません。……」(東京都・T生)〔「朝日新聞」1967年10月24日。(岩崎隆治「生き甲斐論の構図」『月刊労働問題』1969年7月号より)〕資料2) 生きがいの実態
「ぼくは新聞奨学生として新聞配達をやっている。人にくらべ睡眠,遊びの時間も少ない。いっそやめてしまいたいような苦しみにたえている。しかしこの苦しみが将来他の人びとより役に立つこと,このような時間のずれた仕事を四年間やることによって将来プラスになると思うと,そのことに生きがいを感ずる。」(大学男子)
「私は5年くらい前にひとりの宗教家とめぐりあい,その人の人柄などすべての点で尊敬しています。その方は最近なくなられましたが,その方の建設しようとしておられた病院が完成すれば,そこで無報酬で薬剤士として働きたいと思って薬学部に入学しました。ですから毎日の授業も後で役立つことですし,とくに私個人の学問でなくて,病人を助けるということ,大勢の人びとに役だつことができると思うと,普通の学問探究の意味とはすこしちがうとは思いますが,とても毎日の生活にはり合いがあります。」(大学女子)
「まる20年このかた,私はほんとうの生きがいを感じたことはなかったような気がする。私は生きがいを現在もっていない。いやもてないのだ。平穏な家庭と学校のわくのなかで,そのなかでやりたいと思うことはなんとなくやってきた。だから過去に生きがいをもっていたとすれば,やりたいと思うことを成功させたとき(ほとんどクラブ活動であるが)であろう。しかし現在そんなことに満足できなくなってしまった。自分がこれと思うもの,これだけはというものがつかめない。自己を確立するこの時期に,これから先自分は何をほんとうに欲するのか?もう自分の道をみつけひとりだちしている友をみていると,あせりと自分を知るにつれ埋もれてしまう可能性,自分のえらんだ道へのある種の絶望,これがなんとなく無気力な自分にしてしまう」(大学女子)
(『現代青年の意識と行動』生きがいの創造 大日本図書)