研究資料分類基準G2-04高等学校社会科「現代社会」の研究-144/170page

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資料1) 子供の自殺と生命の尊さ

夏ともなれば,デパートのショーウィンドーにカブト虫がたくさんならべられる。糸で縛られたカブト虫が,苦しそうにテーブルの上で鉄のミニカーをひっぱっている。現代の子供たちにとっては,カブト虫は電池で動くいのちのないおもちゃにみえるのでしょうか。
カブト虫をはじめ,いろいろな昆虫が子供たちに喜ばれる時期になってくると,私は考えさせられるのです。もし,子どもたちが,この昆虫たちと自然の中で遊ぶことができ,生きとし生けるものの"いのち"を,もし深く体得するなら,その意義ははかり知れないものがあるでしょう。しかし,残念ながら現実にはこの文明社会での生活は,それとは逆の方向に進んでいるように思えてならないのです。特に近年目立っているものに,自殺があります。その年齢は年々下り,小学生の自殺がふえています。そしてマスコミでも大きくとりあげられ,その原因がいろいろと言われています。甘やかされて育ったからだともいわれますが,核心にふれるところがありません。私は,ずばり言うなら,それは「いのち」を知らないからだと言いたいのです。しかし,ここで大切なことは"いのち"とは教えられるものでもなく,また単なる知識として知るものでもありません。いのちとは自分の経験を通して,体で学ぶものなのです。子供の自殺は,もしかしたら「死んでも,もう一度」生きかえられると彼らは思って死ぬのではないかと考えられるのです。というのは,自殺する原因が実に曖昧であります。つまり「死」とか「生」が,実は全くわかっていないのです。もちろん子供ですから,この大変な問題を充分理解できるとは思えません。それでも,子供の自殺の明白なデータが示しているように,近年いちじるしく増加していることは,それなりの原因が考えられるはずであります。(中路)
また初めにふれたカブト虫の例を,もう少し突込んで考えてみましょう。いのちを知らない子供にとっては,カブト虫は格好の,動くおもちゃでありましょう。夏休みになると,デパートで売られるあのカブト虫は,子供が自分の手で,山でつかまえたものではなく,また幼虫からさなぎに,そして成虫にまで育てたものでもなく,簡単に親からもらったお金で買ったものであり,電池を入れて走らせるミニカーとあまり違いがないように,」子供に写るのかもしれません。自然の中で生きているいのちをもったものとしてのカブト虫は,自然を知らずに育つ子供には理解できないのかもしれません。ここで大切なことは,おなじ動くものでも,電池で動くミニカーとスイカの汁を吸い,樹液を吸って動くカブト虫の違いこそ「いのち」を知ることではないでしょうか。電池は,切れればまた新しいものととりかえることによって,そのミニカーは動くでしょう。カブト虫は食べ物が切れ一旦動かなくなったら,いくら食べ物を与えても,お金を出しても,動かないところに「いのち」の重大さがあることに小さい子供には理解されないのです。「いのち」が理解きれない原因はいろいろ考えられますが,第一には,テレビの影響があるでしょう。特にブラウン管であばれる悪者は,一度死んでも,またあくる日には堂々と悪の限りをつくしている。つまり死んでも,テレビではまた生き返るのです。無生命の世界をあまりに描き過ぎるといってもよいでしょう。

(『現代に幸せを求めて』東北福祉大 萩野浩基)


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