研究資料分類基準G2-04高等学校社会科「現代社会」の研究-146/170page

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の性質は,時折,人間が,そうした状況におかれ,それに耐えてきたものと,まったく異なったものではない。それは,無の経験というような,実質的なものではないのである。
死も,そのつもりで心の準備をすれば,耐えられるのではないだろうか。ふつうの別れのときには,人間は,いろいろと準備をする。心の準備をしているから,別れの悲しみに耐えてゆかれる。もっと本格的な別れである死の場合に,かえって,人間は,あまり準備をしていないのではないか。それは,なるべく死なないもののように考えようとするからである。ふつうの別れでも,準備をしなければ耐えられないのに,まして死のような大きな別れは,準備しないで耐えられるわけはない。では,思いきって準備したらどうであろうか。そのためには,今の生活は,また,明日も明後日もできるのだと考えずに,楽しんで芝居を見るときも,碁を打つときも,研究をするときも,仕事をするときも,ことによると,今が最後かもしれないという心がまえを,始終もっているようにすることである。そして,それが,だんだん積み重ねられてくると心に準備ができてくるはずである。その心の準備が十分できれば,死がやってきても,ぷっつりと執着なく切れてゆくことができるのではないか。

(岸本英夫『死を見つめる』)


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