学級担任・H・R・Tのための学校教育相談入門-013/222page

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第3章 児童生徒を理解する基本的態度

1.徴候の見方の相違

さきに述べたように,欲求不満が大きすぎたり,長びいたりすると,不適応の状態におちいる。その時にとる行動の状態を,一般的に徴候といっている。

徴候は,社会的あるいは教育的立場からみれば,批判されたり,非難されたりする場合が多い。しかし,そのことも,本人にしてみれば,心の中の不満を解消し,不均衡を回復するための止むを得ない手段であって,それが社会的に非難されるものであるとか,他人を困らせるものだ,ということには,全く気づいていないのである。

親や教師は,目の前の徴候に目をうばわれて,それを消失させるために,罰やしっ責などを用い,表面的には直ったと思いちがいをしていることが多い。ところが,問題の根本である不適応の原因が除去されるのでなければ,また同じような徴候か,形を変えた徴候があらわれてくる。その徴候を追いかけていると,堂々めぐりのような状態になり,問題をひどくこじらせてしまうことにもなりかねない。学校で,「手におえなくなった子供」というのは,このような悪循環におちいった子供であるということができる。

一般に,子供の徴候の見方について,親,教師,心理学者,精神衛生専門家の間では,どんなことを問題祝しているかで,大きな相違がみられる。

これを表1で示したが,親や教師が重視するものは,表面にはっきりあらわれた行動に関するものが多く,精神衛生専門家が重視するものは,適応の機制に関するものが多いといえよう。

こういうところに,臨床心理の専門的訓練を受けた者と,そうでない教師とのちがいが出てくるのである。


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