研究紀要第51号 「学習指導の個別化 個に応ずる研究」 -005/080page

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3 第3年次(昭和57年度)研究の趣旨

(1)学習者中心の授業

学習指導に関する今日的な課題の一つに,学習者中心の授業の創造がある。

これまで,学校教育は,一斉授業を中心として進められてきた。そして,一斉授業による教育方法は,その利点として,単に多人数同時教育における効率の高さにとどまわず,集団を構成する成員の個人差にも積極的な意味を求めてきた。すなわち,一斉授業において,子供たちの多様な考え方や感じ方,行い方を出し合い練り上げる中で,一人一人の能力を高めようとしたのである。

しかし,この一斉授業による教育方法は,一見すると,活発に学習活動がなされているように見えても,実際に学習しているのは全ての児童ではなく,学習に参加しないままに見落とされてしまう児童生徒が生じるという限界を否定することはできない。現在,教育の問題として,授業についていけない学力面の落ちこぼれや,学校ぎらいや無気力・無感動といった情意面の落ちこぼれが大きく取り上げられているが,これも突き詰めていくと,一斉授業における限界にたどりつくのかも知れない。

我々は,この一斉授業における利点と限界を十分に見極めた上で,児童生徒一人一人に学習が成立するような授業の創造を目指さなければならない。そして,学校教育の現状を踏まえたとき,それは,一斉学習を主とする学習形態の授業を進める中で,いかに個別化を図っていくかという方向で研究されるべきではないだろうか。

学習の主体者は児童生徒一人一人であるのは当然である。しかし,この当然であるべきことが見失われがちになるのも現実である。我々は,ここで改めて,学習の主体者を児童生徒一人一人と見なし,その一人一人に確かな学習が成立するような授業を目指して本研究を進めるものである。

(2) 「確かな学習の成立」と「個に応ずる働きかけ」

児童生徒一人一人に「確かな学習の成立」を目指すとき,その基盤として考えられるのは,児童生徒一人一人がいかに学習に真剣に取り組むかという,学習意欲の問題である。どんなにすぐれた学習環境,指導計画,指導技術をもってしても,学習の主体者である児童生徒自身の心に,学習に対する興味も関心もなく,学習しようとする意欲が欠けていたとしたら,そこには,「指導」は成立したとしても,真に「学習」が成立したということにはならない。

本研究においては,この学習の基盤としての学習意欲に目を向け,第1年次研究として,「どのようにしたら,児童に学習意欲を持たせ,高めることができるか」という課題のもとに,「個を認める研究」を進めてきた。この「個を認める働きかけ」の効果を高め,更に研究の深化を図るために,第2年次の研究の視点を「個を生かす働きかけ」とし,個の「特性」や「意志」を生かすことによって,児童一人一人に喜びや楽しさ・充実感のある学習の成立を目指す学習指導のあり方を,単元内進度別学習や小単元内課題別学習のシステムを通して追究してきた。

第3年次の本年度は,これまでの「個を認める」・「個を生かす」研究の成果を踏まえるとともに当教育センターで研究を推進してきた「習熟度別学習」の研究成果を生かしながら,中学校の数学科と英語科の授業を取り上げ,個のつまずきや到達度に応じた課題を設定し,分枝型学習によって,「個に応ずる働きかけ」を行い,「個の確かな学習の成立」を目指そうとしたものである。

「個に応ずる働きかけ」を行い,「個の確かな学習」が成立したときの状態はどのような状態をいうのであろうか。それは,次のような児童生徒の姿としてとらえられるであろう。

児童生徒一人一人が,


[1] 学習のねらいを明確にとらえ,
[2] 学習のねらいを達成するための自己の力(すでに獲得した力,また獲得しない力など)がわかり,
[3] 今,自分が取り組まなければならない課は何かがよくわかって,

生き生きとして,真剣に学習に取り組み,学習の途中では,


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