研究紀要第56号 「学習指導と評価に関する研究 第1年次・実態調査」 -036/053page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

して大切なものであることがわかってきた。(中数)

のように評価の大切さについて述べたものが多く評価の大切さが再認識されつつあるようだ。

・学校の中の評価研究部で評価について研究をすすめているが,実際の場での評価の活用となるとむずかしい。(小中理)
・個人として評価の研究をしているが,その活用は,なかなかむずかしい。(中美)

そして,評価についての研究も,学校として,あるいは個人として,それぞれの立場で進められつつあるようである。しかし,評価の活用については,なお「困難だ」とする意見が多く聞かれた。

・評価した結栗を活用しきれない。(小中算)
・評価後の事後指導が不十分である。評価の結果をどのように児童生徒に戻すか,指導にどのように役立てるかが問題である。(小高国)
・評価したものが,あまり生かされていないようだ。(中社)
・評価の結果が果たしてどれだけ指導に生かされているか問題である。(中英)
・評価問題を授業の中で,単元・学期末などで行っているが,その後の児童生徒の指導にゆきとどかないことが多い。(中理)
・授業ごとの指導内容がきちんと理解されているかどうか小テストを用いて診断しているが,それを活用しきれないでいる。(中数)
・評価しても,その後の指導にあまり役立てることができない。(中英)

というように,評価してもその資料を指導に十分生かすことができないでいる様子がわかる。
 では,次に,その主な理由をあげてみよう。

1.労力がかかりすぎて,時間的余裕がないため。
・評価結果の活用は,授業の中では必要なことである。必要を知りながらできないのは,労力がかかりすぎるところにその原因があるように思われる。(中国)
・児童の落ち込んでいる内容がわかっていても,それを再指導する時問的余裕がないため評価が指導に生かせないでいる。(小高体)
・目標に達していない生徒への対処は時間がなく,いつも中途半端に終わってしまう。(中数)
・評価を指導過程の中に位置づけてすすめることは理解しているが,小学校の場合,全教科担任制で,しかも雑務が多いため,その都度細部にわたって評価し,それを生かすことは,なかなかできない。(小低理)
・その児童にとって「どこがわかって」「どこがわからなかったか」を評価しても,それをフィードバックする機会は,時間的なゆとりがなくてできないのが実情である。(小中体)
・評価結果の累積は,時問的な面から,ともすると機械的な処理になりがちである。
(小低国)・評価した後の再指導をする時間やゆとりがほとんどない。また,途中でのつまずきに対する個別に指導するゆとりもない。(小高理)

2.評価結果の活用の方法や手だてがわからないため。
・評価についての研究が不十分なため,評価結果の活用の方法や手だてがよくわからない。(中国)
・情意面(関心・態度など)の評価を行った場合,その後の指導にどう役立てていったらよいのかわからない。(中数)
・事前と事後の評価での生徒個人の変容がとらえられない。(高保体)

3.評価にとらわれすぎると,授業が分断されるため。
・評価を意識するあまり,授業が分断されることがある。一単位時間のどういう場で,どの程度の診断・治療を行えばよいか迷うことが多い。(中国)
・評価の方法は,いろいろとあるが評価にばかりに関心をむけると,教材研究や指導観の確立がおろそかになる。また,生徒の現実把握のチェックばかりに時間を使っていると,うすっぺらな教科指導しかできなくなりそうな気がしてならない。(中数)


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は福島県教育センターに帰属します。