事例 1
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学級全体への指導援助
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ラポールの形成
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指導援助者の姿勢
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を中心にまとめた事例
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− 学校では話せなかったが,話せるようになった小学生 −
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1. 主訴
かん黙
2. 対象
小学校 5年 女子
3. 問題の概要
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小学校 1年のころから,家では話をするが登校すると話さなくなる。
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このような状態が現在まで続いている。
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現在の学級での様子は,話さないことについて級友からいじめられたりしてはいないものの,女子のグループにも入れず常に孤立しがちである。
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また,担任が話しかけたり用事を頼んだりすると,緊張した表情が見られ話をしない。しかし,電話では担任とのやりとりはできる。
4. 資料
(1) 本人に関する資料
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生育歴
A子が2才の時弟が誕生し,そのころから,帯を自分で持ってきて「おんぶ」をせがむなど,母親にまつわりつくことが多かった。
小学校入学時までは病気がちであったため,外遊びなどあまりせず,友達との接触が少なかった。 -
学業
成績は3の段階だが,音楽はピアノを習うなどしているため器楽演奏だけは好きである。 -
性格
YG性格検査によるとE型で,内向的で神経質,非活動的で劣等感が大きい。何事もき帳面である。
(2) 家族に関する資料
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家族構成
両親,姉(中2),A子,弟(小3) -
家族とA子とのかかわり
両親とも,毎朝「学校へ行ったら,話してこいよ。」と言って送り出す。
母親や姉との接触が一番多く,弟とは仲が良くない。
養育態度は,父親は拒否,放任型で,母親は拒否,過干渉型である。共に一貫性がない。
5. 診断
弟の誕生で家族の関心が弟に移ってしまったため,おんぶをせがむなどして愛情を得ようとしたが,拒否的に扱われたり,姉としての自覚を持つように強く言われたりした。そのため,両親の期待にそうべく努力し,何事もき帳面にやらなければ気が済まない性格や神経質で内向的な性格が形成されていったと思われる。
そして,小学校に入学したころ,学校では話せなくなるような何らかのエピソードがあったらしいが,このことについては不明である。しかし,話をしないことについての両親の対応は,ただ,「学校でも恥ずかしがらずに話をしなさい。」と言うだけであった。また,学校でもかん黙に対する理解が十分になされなかった。このため,かん黙の状態が続いたものと思われる。さらに,かん黙の状態が学級集団に適応できない大きな理由であると考えられる。