平成5年度 研究紀要 Vol.23 -111/162page
単元の導入にディベートを用い、議論の優劣や勝敗にこだわらず、生徒一人一人の課題把握に重点を置いたディベートを試みた。
これらの実践の結果について、ねらいはほぼ達成されたものと評価できる。生徒はディベートに強い関心を示し、高い満足感、充実感と意欲を示した。昨年9月および本年1月の実践について,「まとめのアンケート」に表れた生徒の評価は,次の表のとおりである。
(平成6年1月、数字は%)
No. 項目 ● ○ △ × 1 ディベートはおもしろいか 46.3 43.9 7.4 2.4 2 自分本来の立場でディベートをやりたいか 51.2 34.2 12.2 2.4 3 ディベートで勝敗はいつも必要か 9.8 12.2 56.1 21.9 4 ディベーターとして十分発言できたか 4.9 48.7 36.6 9.8 5 自分は、公正適切に審査できたか 24.4 56.1 14.9 4.9 6 みんなは、公正適切に審査しさか 24.4 68.3 4.9 2.4 7 これからもディベートをやりたいか 43.9 43.9 12.2 0.0 (●強く肯定 ○ほぼ肯定 △やや否定 X否定)
「ディベートはおもしろい」という生徒は、<強く肯定とほぼ肯定> 合わせて90.2%に達した。同様に、「これからもディベートをやりたい」という生徒も、87.8%に達している。もっとも、「ディベーターとして十分発言できたか」という問いには、53.6%しか肯定的な回答をしていないが、これはむしろ健全な自己評価というべきであろう。また、審査も適切にやろうとしていたことが、十分読み取れる。
〔二つの課題〕
最初に述べたように、本論においては「教室デイベート(ディベート学習)」を、川本の挙げる4条件のうち3条件をとって「ルールに従い、フェアに、議論を闘わせるもの」と規定して検討をすすめてきた。学校で児童生徒が学ぶディベートとしては、最低限このような条件を満たせぱ十分であり、細部は、児童生徒の実態に合わせて工夫することがむしろ望ましいことと思われるからである。
しかし、そこで捨て去られがちな、ディベートの定義の本質に関わる二つの要件についても、言及しておきたい。
一つは、「テーマに対する児童生徒本来の賛否の立場を尊重して議論させるか、かかわりなく議論させるか」という問題である。
実際、実践報告では、「生徒の発達段階を考慮して」ほとんどの事例が児童生徒の本来の賛否の立場を尊重して実施している。アンケート調査では、「生徒本来の賛否にかかわらず立場を決めている」という回答は、高等学校で一例あるだけであり、中学校、高等学校の90%を越える教師が、「生徒の本来の賛否を尊重して立場を決めている」のである。
しかし、考え方によっては、本来の意見とは異なった立場で議論させた方が、ゲーム性も高く、勝敗を決する上でも、むしろさっぱりしているとすら考えられる。
ピアジェ 11) は、認知構造の発達段階について11,2歳から「形式的操作段階」に入るとしている。つまり、具体的事物を離れて、仮説演繹的に推理し、論理的文脈から結果を予想できるようになるのは小学校高学年からということになる。これはもちろん一般論であるが、発達心理学的には、条件整備によって、小学校高学年から本来の賛否にこだわらず議論することが可能なのである。
(平成5年9月) 同じ方が良い 67.5%
違う方が良い 6.9%
どちらでも良い 25.6%上の表は、福島南高等学校の生徒たちの、最初のディベート体験の後のアンケート調査の結果であるが、「賛否は、本来の自分の考えと同じ立場