研究紀要第109号 「「生きる力」としての「学力」を育てる学校教育の創造」 -004/166page

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れば,人間として意味深く生きていることにはならないと指摘している。

この生きている実感や充実感は,自己実現の体験によってもたらされる。昨日より今日,人間としてよりよく生きているというしとに気づき,確かに成長している自分を自覚するとき,生きてきたことが充実感をもたらす。そして,この昨日から今日,今日から明日への成長を可能にするのが自己を改革するカなのである。

二―チェの「人間,生きる目標さえあれば,たいていの苦難に耐えることができる(4)」という言葉を待つまでもなく,まず,「生きるカ」の前提には「生きる目標」がなければならない。苦難に耐えるカが弱くなっている子どもたちに必要なのは,まず,「生きる目標」である。

つまり,「生きる目標」が「自己改革」の力によって達成されることが「自己実現」であるということになる。これが人間として意味深く生きるということであり,この方向を堅持し,願い続け,思い続け,ゆったりと自分を高めていくカが「生きるカ」なのである。

「生きる目標」はまた,「生きがい」でもある。

そう考えると,学校は,子どもたちに生きがいを持たせる教育をしているかという問いが生まれてくる。そして,学校は,自己改革する方を育んでいるか,自己実現の場と機会を与えているかという問いも生まれてくる。

(2)「生きるカ」としての「学カ」とは

「生きるカ」を,『生きる目標』を持ち,それに向かって『自己を改革』し『自己実現』を達成していくカ」であると私たちは考える。そう考えた時に,それらは,学校教育の中で育てなければならない,どのような能カなのであろうか。

(2)「生きようとするカ」(生きる目標)「生きるカ」の最も基本的な要素は,「生きようとするカ」であると言える。これは「生命カ」と言ううこともできるが,先に述べたように,「生得(生まれながらにして持っている)のカ」ではなく,「人間として意味深く生きようとするカ」である。 このカは,まず,たくましく生きるための健康や体力に支えられていることは言うまでもないが,「生きようとするカ」に欠かせないのは,「生きる目標」である。従って,学校は子どもたち―人―人が適切な目標を持っことができるようにしなければならない。―人―人に間題意識を持たせること,学習意欲を持たせること,学習することの喜びを味わわせることなど,学校は,「学ばうとするカ」を育てなければならないということである。

2)「活かすカ」(自己改革)

先の「生きようとするカ」を「生命力」ということもできると述べたが,「活かすカ」は,基礎的・基本的事項の「応用カ」や「転移カ」であるということができる。これまで「正解がただ―つしかない問題」を正確に速く解くことに偏った学習を繰り返してきた結果が,創造性や個性を萎ませてしまったことはしばしば指摘されてきたところである。中教審答申が教育内容の厳選と基礎,基本の徹底を提言しているのは,それをもとに「自ら学び,自ら考える教育」を経て,問題解決に活かせるカが育つことを前提にしているからである。知識の量が多く,多くの問題を解いた経験を持っているが,新い,予測しなかった問題に直面すると,十分に思考を働かせることができないといった,最近の子どもたちの傾向は,学校が,教科書にあること,試験に出ることの問題の解決に偏り,「活かすカ」を育ててこなかったからではないだろうか。中教審答申において,体験的な学習や総合的な学習が強調されているのは,この「活かすカ」を培うための時間,空間としてこれを重視しているからである。そして,この「活かすカ」は「自己改革」を可能にするカなのである。


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