研究紀要第109号 「「生きる力」としての「学力」を育てる学校教育の創造」 -009/166page
ることが難しい。つまり,「生きるカ」の前提としての「生きがい」を感じることができない状況にあるのである。当然のことながら,自己を改革しようとする意欲も自己実現の成就感も味わうことはできない。教師,教材,そして,学級というようにその改造の視点を述べてきているわけであり,それぞれの改造が相補的に働いて改造を可能にするのであるが,この学級の改造の成否は,教師や教材の改造に支配的に働くと考える。つまり,教師がいかにその資質や能カの向上を図ろうと,また,いかに適切な教材を開発しようと,この学級の人間関係の問題の前には,微力であると思われるのである。
学級の改造は,こうした問題の解決を目指して取り組む視点であり,先に述べた「共に生きるカ」を育てる視点、と共通するものである。
豊かな人間関係を育むためには,「人間関係をつくる力」を育てることが大切であり,そのために教師はどのような指導援助をすべきかを提案すべく,この視点からの研究を推進するものである。
(4)授業の改造
これまで述べてきた3つの改造の視点,つまり「教師の改造」,「教材の改造」,「学級の改造」を土台にして,その上に「授業の改造」は築かれると考えている。
1)学カを育てる
授業は,子どもたちに確かな学方を身に何けさせるために行われる。その学カは,単なる知識の獲得や受験のためにある事柄を理解するといったことではない。真の学カは,生きる目標に支えられた,「自ら学ぼうとする力」であり,自己を改革しようとする意欲に押されて「学ぶカ」であり,そうした学習の成果としての成就感に満ちた「学んで得た方」である。
これは,「『知識を教え込む教育』から『自ら学び,自ら考える教育』へ」という,中教審答申にも見られる教育の発想の転換によって導かれる「学カ観」の転換でもある。
「学カ」が偏差値であり,高校や大学に合格する力であるという考え方は社会の中にまだ少なからずある。学校においても「学カ」がいわゆる知識の量や問題を解く技能であるかのように誤解されている心配がないわけではない。
授業の改造では,まず,その教育観,学カ観の転換を目指すに当たり,授業で育てるべき「学カ」とは何かを問題にする。
そのためには,子どもの学カの実態を把握しなければならない。子どもがどのような学方を身に付けているか,あるいは,学カのどのような側面が不十分であるかを問題にすることにより,授業で育てるべき字カが見えてくるはずであり,それは同時に,授業改造に向けた指導の在り方を示唆してくれるものと考える。
こうした方向での研究推進によって研究課題に迫る指導事例を提案したいと考えている。
2)基礎学カと思考カ
「教育内容の厳選と基礎・基本の徹底」は,それを「活かすカ」を育ててこそ意味があり,価値があるということを先に述べているが,基礎・基本と考えるカは矛盾するものではなく,基礎・基本は考える方を支援し,考えるカは基礎・基本を確かにする。 これまでの授業には「自ら考えるカ」を育てるような工夫が十分でない,思考カや表現カが育たないという反省は,以前からあった。しかし,思考方を身に付けざせるだめの研究や具体的な提案は少なく,思考カという目に見えにくい学力についての研究は敬遠されてきた傾向がある。
本研究は,思考方を育むであろう思考活動に目を向け,それを活発にするであろう支援の在り方を探ろうとするものである。
以上,1),2)が「授業の改造」の視点である。