福島県教育センター所報ふくしま No.54(S56/1981.12) -027/034page

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随 想
ジヨィス・スミスのことばから

教育相談部 佐藤晃暢

 東京国際女子マラソン大会で優勝したジヨィス・スミス(英国)は優勝後のインタビューに際して、「私は、いつもベストコンディションで大会にのぞめるようを努力はしませんでした。しかし、どんなに悪いコンディションであっても、それに耐え、対応できる自分であるための訓練や努力はしてきました。今日も自分にとっては、決してベストコンディションではありませんでした。」と答えていた。 一つの目的にむかって、そのことを成し得た人のことばには実感があり、説得力をもつものが多い。このことばにも私たちに多くの示唆を与えてくれるものがある。
 たしかに何かをなさねばならない時に、つねにべストの状態でのぞめることは理想ではあるが、現実にはたいへんむずかしいことである。むしろ困難を問題や状況に直面した時ほど、緊張と不安が錯そうし、感情のいらだちが的確を思考や判断を鈍らせ、ベストの状態をつくりにくくしていることは誰しも経験していることであろう。また、ベストの状態をつくり、それを保つことのむずかしさは、自分にとってこれがベストといいきれる状態がつかみきれないことにもある。それは、ベストの状態に対するレベルやスケールに一定の基準をもたせること自体むずかしいことであり、その時々のおかれた環境、心理的別犬態等によって微妙に変化するからである。かといって、人間の生体リズムにかかわる知性リズム・感情リズム・身体リズムの三つで描かれるバイオリズムのサイクルが」かりに好調期であることを示したとしても、自分自身が今好調であるとは自覚しにくいことにもある。
 このように考えてくると、本来ベストの状態をつくるということは、言うことはやさしいがたいへんむずかしいことなのである。かつて、受験指導や対外試合にのぞむ前の生徒たちにむかって、「今、君たちにとってたいせつなことは、いかに当日まで自分のコンディションをベストにもっていくかということだ」などと言っていた自分をふりかえる時、非常にあいまいな、そのくせ非常にきびしい要求をしていたものだと反省させられる。
 どのような場合でも、ベストの状態にもっていくということは、極限の状態を指向することであり、そこには円錐的なきびしい積み上げによるプロセスがあり、何か追いつめられた人間の悲壮感すら感じる。それよりは、むしろ、ベストの状態などというものはそうあるものではない。そうであるならば、どのようを条件や、悪いコンディションであろうとも、その時と場で自分は何ができ、どんを対応をしていくべきなのかを試行していく努力がたいせつだとしたスミス夫人の考え方が、日常生活におわれるなかで練習に耐えた主婦的を発想であるように思われる。このように考えることが精神的にもゆとりを生じ、的確を自己の選択や、適応が可能になり、創意を働かせた創造も生まれてくるような気がする。 さらに考えておきたいことは、ベストの状態が与えられた時に人間はつねにべストコンディションになり得るものではないし、ベストコンディション=好結果につながるという保障がないということである。この点では、受験生をもつ親にも心してもらいたいことでもある。騒音に気をつかい、食べ物や家族の言動にもこまかを配慮をし、ベストの状況の中で勉強をさせ、ベストコンディションにもっていこうとする心づかいは親心として理解できないことではない。だがベストコンディション、イコール、好結果という幻想にも似た者えからだとするならば問題である。それは、結果が自分や当人に反したものであった時、その衝撃がより大きなものになるに違いないからである。
 スミス夫人は、あらゆる状況や異なる自分自身の状態の中できびしく自分をみつめ、ある時は不測の事態を想定し、走りながら自分自身の情報を集め、蓄積し、その中から自分なりの克服策を身につけていったのであろう。そのようを生き方から生まれたことばでもあるはずである。


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