福島県教育センター所報ふくしま No.59(S57/1982.12) -035/038page

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 随    想

広岡野球に学ぶべきこと

教育相談部  佐 藤 晃 暢

 日本シリーズで,西武ライオンズが優勝し,広岡監督の管理野球が再度注目をあびている。昭和53年にも弱いチームといわれていたヤクルト球団を優勝させた実績をもち,その当時も脚光をあびたものである。

 たしかに,優勝経験をもたないチームが,監督をかえただけで簡単に優勝できるほどプロの野球は甘くないはずである。しかし,現実に二度まで優勝に導いたことは事実である。基本に忠実な練習以外に何か個々の選手のもつ力以上のものをひき出す雰囲気づくりに努め,やる気をおこさせる選手操縦術をもっているように思えてならない。

 よく,野球はメンタルなスポーツだと言われている。ことことは,人間が行うことは,理屈や理論では解決し得ない,また予測しにくい複雑なファクターがからみあって,予期しないミスや,本人がもっている力以上のものを発揮する場合があることを述べたものだと思う。

 この監督は,チームはかわっても自分の指導方針や,選手操縦術はかえない芯の強さをもち,感激的な優勝の瞬間や場においても,極力感情を押え,理性的でクールな人間というイメージを観客に与えている。これらを裏づける監督の特徴的な言動は,試合中の的確な状況分析や判断にもまして,試合後の言動にあるような気がする。

 数多く居ならぶマスコミ関係者の前で,ミスをおかした選手名を堂々と口にし,しかも,それがチームにとってかけがえのない主力選手であっても,一軍半的な選手でも全く同じ態度や口調で徹底してそのミスを指摘する。そして,以後の試合からはスタートメンバーからはずして,本人の発奮を待つという非常に強い態度でのぞむ。かと思うと,試合の勝敗を左右した大きなミスをおかした場合でも,全くそのことに触れず沈黙を守り続ける。このような異なった態度が,何か矛盾した一貫性のない態度にみられがちである。

 また,選手をほめることの少ない監督が,選手をはめる場合は,直接監督のロから本人へというよりは,第三者を通したほめ方をよく行う。
 これらの監督の接し方に学ぶべきものが多々あるように思う。

 ミスをおかした選手は.監督に言われるまでもなく,ミスについては誰よりも悩み,チームにも迷惑をかけたという後悔がある。しかし,ことばとなってより鮮明に自分に戻された時,発奮し,ミスを速やかに忘れることも可能になる。そのために監督はつとめて冷静に,感情のエネルギーが噴出した際にみられる高音とは対照的な非常にソフトな話し方でミスを指摘している。ソフトな話し方は,「理性」を感じさせると同時に,感情に支配されている選手を,理性的な行動にひき戻す効果的な話術である。全く逆の接し方で,ミスを無視して沈黙を守ることにも,計算された監督のたしかな対話のあり方を感ずることができる。

 監督が,自分のおかしたミスについて沈黙を続けている限り,当人は「内言」によって,自分が自分に会話し,より厳しい緊張の中で内省を繰り返しているのである。単に,ことばでミスを指摘され,それに耐えたのだから問題の解決はみられたのだと感じやすい人間の心理に,強い「くさび」を打ちこむ効果がある。持続的な内省が次の飛躍につながることを期待し,待つ勇気があってはじめてとれる態度でもある。また,ほめられた本人に,より強い刺激となる「暗黙の強化」の方法を駆使して自信をつけさせていることも見逃せない。いずれの態度をとるにせよ,一人一人の選手のもつ力や性格,感性を的確に理解していなければ,本人にとってどれがベストなのかの結論は出ないはずである。つまり,人間を観るたしかな目をそなえてはじめてできることなのであろう。


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