福島県教育センター所報ふくしま No.94(H02/1990.2) -004/038page

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随想

隠 れ 里 有 情

科学技術教育部情報処理教育係長  秋 葉 史 裕

 三月ももうじき終わろうとしているのに,川治のさらに奥山にある落人の里・湯西川では,冬はいまだに去ろうとしない。夕暮のどこまでも続くかと思われる山道は誠こ心細く,時々降るみぞれは,人見知りするかのように車窓を叩いた。宿の明りが見えると,安堵感が全身をつつんだ。

 疲れた体をわきいでる湯泉でいやし,一段落すると,間もなく「タ食はいかがでしょうか。」の声があった。夕食は本館の外でとるのである。敵に発見されないようにと,鯉のぼりをあげたり,ニワトリを飼ったりしない風習がいまだに残っていると伝えられるこの里で,どのような料理を用意しているというのであろう。

 さっそく下駄にはきかえ玄関を出た。ぼんぼりをたよりに薄暗い階段を登りつめると,そこには,人目を避けるかのように木立に囲まれて建っている,一軒の茅葺きの隠れ館があった。外からは明りはまったく見えない。

 案内されるまま部屋に入ると,串刺しにされた岩魚,ひえもち,鹿の肉などが,炭火のまわりにおいしそうに焼かれている。落人料理というのだそうである。そして,昔をしのばせるように造られたいろりを囲んで,旅情を楽しむ宴の声が,そこかしこにあった。まさに,落人達とタ食をともにしているかのように。

 その昔,源氏に亡ぼされた平家一門のうち,辛うじて生きのびた残党・遺族の中には,外界と交通を断って深山に潜み,平家部落・平家隠れ里の祖となった者がいたという。平家落人の隠れ里は全国七十二箇所とか。ここは,その伝説の地なのである。この家の主は,この里の歴代名主の家柄を継承しているという。

 現在,車の往き交うこのあたりは,昔の隠れ里のイメージからすっかり遠のいている。ここにたどる途中には,何箇所か山のふところに人が住めそうな平地がないわけではない。それを見捨ててはるか上流に住みついた最初の人は,いったい何者だったのであろう。人里からはなれ,しかもできうる限り遠ざかり,自分達の足跡さえも消しさって,世から忘れられて生き続けてきたのは何故なのか。はじめは,現在の地よりさらに奥の高倉山あたりにいたという。

 いままで秘湯めぐりの醍醐味を,そこでの,豊かな自然の恵みと素朴な人々の温情に求めてきた。しかし,このようないにしえの伝説に思いをはせ,先人の有情にひたることも,旅をさらに楽しいものにするものである。

 宴がいよいよ佳境に入るころ,桂(うちかけ)姿の女将が現れ,苦難を乗り越え自分が行ってきた数々の家業や落人伝説を語りはじめた。旅というものを他火(他家のかまどの料理や珍しい御馳走にあずかる)という義に解し,客をもてなすと共に,自らの一家だけの安泰のみならず,いままで築き上げた先祖の遺業を尊び,地域社会の高揚を計れるよう常に心掛けたいというのが女将の信条なのだ。人間のよりどころを大切にしようとする心くばりと,過去の二回の災害にもめげず,八百年を踏襲する旧家を後の世まで継承しようとする一念がそこにあった。

 まさに,これから仕事をする上での根本理念にふれた思いである。そして,落人伝説を巧みに取り入れ旅人の心を引き付けてやまない,経営者の心くばりを強く感じた。アイディアに真心を加えることにより,どのようにでも人の心はゆさぶれるものと確信した。

 どのくらい時がたったのであろうか,窓に明かりがさすと昨日の幻はそこにはなく,隠れ里の有情のみが静かに残っていた。


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