福島県教育センター所報ふくしま No.98(H03/1991.2) -017/038page

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随 想

お も て と う ら

学習指導部長   佐 藤 英 昭

 窓の向こうに信夫山が見える。永いこと北に臨んだいわゆる表の信夫山に親しんでいたが、裏からの眺望も、特に雨に煙ったさまは、一幅の山水画にも似て風情があり心をなごませてくれる。そして、表の顔と裏の顔、その素顔はどちらもいい。


 過日、教え子の本厄の年のお祝いに招待された。男子の大厄は42歳であるから、もう随分と昔の出会いであるにもかかわらず、忘れずに心にかけていただいたことがうれしかった。当時をふりかえれば、そこには、ただ未熟さだけが存在している。がむしゃらと無手法を自信に置きかえての生徒とのふれあいは、その一つ一つの経験が尊い糧とはなったが、それにしても、こういうのを汗顔の至というのであろう。若気のいたりと汗顔のいたりとは、どうやら無知という接点で交差するらしい。

 ところで、厄難の起こる年として忌み慎む年齢を厄年というが、その祝い方は土地土地によって違うらしい。このあたりでは男子の42歳、女子の33歳を大厄と称して盛大に厄払いのお祝いをするのが一般的であるが、沖縄の友人からの年賀状には、「俺も今年は男の大厄、ふんどしを締めて頑張る49歳になった。君も自分をわきまえろ」などと添え書きがしてある。まあ、世事万般にわたる門外漢から言わせてもらえば、「死に」の42歳、「さんざん」の33歳、「四苦」の49歳程度の意味であろうか。もっとも、このようなことば遊びに神聖な行事を結び付けては、培われた伝統を大切にする先輩諸氏のお叱りを頂戴するに違いない。

 ところで、ふたたびところで。人生にはいくつかの節目があり、その節目相応の年齢がある。42歳というのは、社会的にいろいろの役目をになう一つの年齢であるようだ。古いしきたりが残る土地では、その土地の神役を得る資格のできる年が42歳だという。だとすれば、当然に神に関する役をになう者は、心身ともに忌み慎み、神に「けがれ」のない証拠を示さなければならないだろう。厄を払う42歳の厄年である。また、そのお祝いは、神役を得ることのできるよろこびのあらわれでもある。厄年と役年。ここにもおもてとうらがある。


 目の前の木立ベニヤの葉が、あかく色づいて新鮮な美しさを感じさせてくれる。二葉の挿木をいただいたものだが、今では四葉となりこれからの成長が楽しみだ。よく見ると、陽ざしをとおした葉の裏が、一段と鮮やかである。そしてここには、表裏一体となった美そのものが存在している。


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