福島県教育センター所報ふくしま No.98(H03/1991.2) -022/038page

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てなりませんでした。生意気かも知れませんが、単に説教をしたり訓戒するだけでは律しきれない何かを感じたのです。

 多分、ここから先が担任としての私の仕事になるのだろうと思いました。でも、何を、どのようにすれば良いのでしょうか。

 美香は、成績は普通。やればできる素質を持っています。母親は、スナック経営。美香の父親とは、彼女が幼いときに離婚し、現在の父親は、定職がなく何をしているのかはっきりしません。一人っ子です。

 かおりは、成績は悪いものの遅刻早退もせず、どちらかといえばおとなしい生徒でした。家庭環境も、母親がやや口うるさいことを除けば、格別問題があるとも思われません。

 由紀子は、2年まで陸上部で活躍していました。タレントになりたがったり、若い男の先生に熱をあげたりすることがあっても、これまで特に問題をおこすようなことはありませんでした。両親は、高学歴でむしろ教育熟心です。

 学年主任と相談しながら、私はまず彼女たちの心の中の世界を良く知る必要があると思いました。

 土曜日の午後、私は3人を集めました。

 「せんせ、説教すんの?」としぶしぶやってきた生徒たちでしたが、私が、ユーミンの新しいアルバムのテープをかけて、

 「一緒に聴きたかっただけなの」と言うと「な一んだ」と言って、おとなしく20分程付き合ってくれました。その後、彼女たちは約束があるからと帰りましたが、帰りぎわに由紀子が、「今度、少年隊のテープを貸してあげる」と言ってくれました。

 シンナーの危険性を、どんなふうに伝えようかと悩みました。彼女たちの性格は、私には根底から歪んだものとは思えず、なるべく彼女たち自身の心が納得する形で理解させたいと考えました。


再びシンナー吸引

 ところが、そうこうしている間に、3人が校舎の裏で再びシンナー吸引をして指導されたのです。

 正直言って、私は目の前が真っ暗になるような気がしました。こうなったのは私の指導がてぬるくて、後手に回っているせいでもありました。学年主任は私を気の毒がって「いろんな生徒がいるんだから」と励ましてくれましたが、自分の腑甲斐なさを感じるばかりでした。

 前同にもまして、厳しい指導が行なわれました。その理由の一つは、美香が激しい反抗的な態度をとったからです。美香は、反省するどころか、「学校なんかやめる」と言って帰ろうとしました。母親も不満そうな表惰をあらわにし、むしろ学校への不信感すら感じられる態度でした。


美香の不登校

 その翌日から、3人のうち美香一人は学校に来なくなりました。私は、二度、家庭訪問をしましたが、二度とも美香は会ってくれませんでした。

 放課後、かおりと由紀子と話しているうちに私は急に悲しくなって、思わず泣いてしまいました。


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