福島県教育センター所報ふくしま No.98(H03/1991.2) -023/038page
その二日後に美香は登校しました。10日ぶりのことでした。
美香が学校に来てくれたのは、大きな救いでした。私は、再び気をとり直しました。
シンナーの有害さについては、校医の先生にご指導いただくことにしました。養護の先生とも相談し、お医者さんのご協力を仰ぐことも効果的と考えられたからです。クラスの中で
7月。3人は、クラスの中で浮き上がっていました。無理もないことですが、進路希望調査や模擬テストなどの日程がどんどん進む中で、完全にとり残されていました。
校内スポーツ大会等の学校行事の時に、私は、3人が学級の中で孤立しないように努めたつもりですが、具体的には何もできませんでした。
3人とも進学希望でしたので、私はなるべく将来の話をしたかったのですが,進路の話になると露骨に嫌な顔をし、面接もうまくいかなくなったように思います。
心配した夏休みも、表面的には何事もなく過ぎ、2学期を迎えました。
私は、土曜日の放課後、かおりの英語の宿題を見ていました。しばらくして、かおりがそわそわしだしたので理由をきくと、美香と由紀子が待っていると言います。私は2人を呼び、私のサンドイッチを4人で分けて食べました。
「せんせ、恋人いる?」由紀子が訊ねました。こういった質問には、3年間でなれっこになった私ですが、この時はなぜか顔が赤くなるのが自分でも分かりました。
「せんせって、意外とかわいいじゃん」美香が言いました。こんな会話があってからでしょうか、3人が少しづつうちとけてきてくれるような気がしました。
次の土曜日、私は4人分の散らし寿司をつくっていきました。3人は、喜んで食べてくれました。少し残ったのを見て美香が、
「せんせ、これ私にちょうだい。うちの母親にあげるから」と言いました。
それから、2、3日たって、たまたま通りで美香の母親に会ったとき、丁寧にお礼を言われて、あんなお寿司でも少しは役に立ったのかなと思いました。
10月初旬の土曜日、(いつまでもこうしていちゃいけない、彼女らに将来の自覚をさせなくちゃ)と思っていた矢先、由紀子が、「先生、今日は大切な相談にのって下さい」と言いました。
―進路の相談でした。
ふりかえって考えて見ると、私は他の先生方の寛大な大きな手のひらの上で、勝手気ままな指導をしてきたのかも知れません。
厳しくすべき時に厳しく、優しくすべき時に優しく…と言われますが、その呼吸というかタイミングが私にはまだよくつかめません。もっと有効な指導方法があったのではないかと思うと、大変悩みます。
ここに、3人に関する資料と、指導の記録の一部を同封します。ご面倒をおかけすると思いますがご指導いただければ幸いです。 ※資料及び指導記録は省略
私達は、次のような返書をさしあげました。