福島県教育センター所報ふくしま No.100(H03/1991.8) -005/038page

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スクールを設けるにしても、四つの面の関連・協力体制・機能分担(責任と限界)を検討しておくことが大切なのである。

3. 学校教育の役割
 昭和62年12月24日の教育課程審議会答申は、「これからの学校教育は、生涯学習の基礎を培うものとして、 自ら学ぶ意欲と社会の変化に対応できる能力 の育成を重視する必要がある」とし、「生涯にわたる学習の基礎を培うという観点に立って、 自ら学ぶ目標を定め、 何をどのように学ぶかという 主体的な学習の仕方 を身に付けさせるように配慮する必要がある」<傍点新谷>と述べている。
 また、平成2年1月30日の中央教育審議会答申は、「人生の各段階の要請にこたえ新たな観点から、家庭、学校、地域などの各分野の広範な教育・学習の体制や機会を総合的に整備する必要がある」とし、「これらの中で最も組織的・体系的に学習の機会を提供しているのは学校である」と強調している。
 このように、生涯学習体系に占める学校教育の比重は極めて高いのである。生涯学習は”学校教育終了後”のものではなく、”学校教育を中核”とすべきなのである。
 自ら学ぶ意欲を育てるために必要なのは本人の「立志」である。自らの志に支えられて”やる気”が起きるのである。学習意欲は、目標の自己化・解決方法の会得・成就感によって、自主的・持続的なものになるが、貝原益軒は、”立志は、明師の指導と良友の刺激によって触発される”と説いている。的を射た言でなかろうか。
 ポール・ラングランは、「学校の果たすべき役割は、系統的な誘導により、考察や勉強の計画や分析的操作と総合的操作の関係づけなどの能力を養いつつ、また対話やチーム作業の習慣をつくりつつ、『学ぶことを学ばせる』ことにある」と述べている。
 また、カール・ビューラーは、「子どもにとって自己の能力を機能させることは快感を味わうことになる。人間の子どもに内在する能力つまり潜在力を発揮し運用すること、すなわち機能させることは、自己の可能性の実現なのであり、子どもにとってはその時点における生きがいなのである」と提言している。
 学習における”機能快”(集中感と緊張感)こそ、送信機を欠く「受信型人間」から脱皮して自家発電装置のある「発信型人間」への変身を図るための転轍(てつ)機である。
 私は、学習の基本型を、読む(状況・人心・動向・背景などを五感を駆使して、読み取り・感じ取る)→問う(探り、検し(ただし)、啓き(ひらき)、求めるなど)→考える(納得する、深める、広げる、高める、残すなど)に置いている。
 そして、子どもの”わかり方”(思考の仕方)を、分(ぶん)(分類・識別など)・解(かい)(解釈・究明など)・判(はん)(判断・対応など)から易(い)(検証・得心など)・求(きゅう)(探究・展開など)につなげ発展させようと試みている。
 百尾千尾の魚を与えるよりは、一尾の魚をとる知恵と技(わざ)とを身につけさせたい。


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