福島県教育センター所報ふくしま No.100(H03/1991.8) -006/038page

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所員個人研究

日本歌曲の歌唱における一考察
ー山田耕筰の作品についてー

学習指導部   荒 井 一 成


はじめに
声楽曲を学習するには、いくつかの大切なことがらがある。そのひとつとして作曲家の人となりやその時代の音楽様式などを知ったうえで歌唱することがあげられる。そして、楽譜から実際の音楽(音)を再創造していく過程で、歌唱者が何をなすべきかを思考することによって、作品をより豊かに表現することが可能になると考える。
 日本歌曲を歌唱することは、日本語をより美しく表現することであり、作曲家の感性を通して操られた言葉とその叙情を表現することである。しかし、その歌唱法や歌唱指導法はいまだ確立されている訳ではない。
 「赤とんぼ」や「この道」の作曲家として知られている『山田耕筰』は、日本語の歌詞に西洋音楽の手法を用いて、日本歌曲を芸術的に表現した作曲家である。彼の創作の足跡は日本歌曲の歴史そのものである。
 本研究では山田耕筰の作品をとおして、作曲家がどの様に詩をとらえ音楽との融合を図ったかを検証し、日本語の歌をどの様に解釈し、表現すべきかを考察してみた。

1. 声楽曲の演奏と解釈
 音楽作品は時間的創造物であり、演奏行為によって初めて現実のものとなる。したがって、作曲家の作品は、演奏家のその作品に対する解釈と演奏で音楽作品と見なされるだけに、演奏家の解釈に仕方は非常に大きな意味を持っている。
 作曲家は音楽に生きた意味を持たせるために、テンポの指示、音価(音符や休符の表す長さ)、アクセント、ダイナミックス、フレージング、ニュアンスなどを楽譜の中に細心の注意を払って書き記している。しかし、書き記された楽譜は実際の演奏の実態までをも示すことはできないのである。
 声楽曲の場合は、歌詞はアーティキュレーションや発音法に注意を払いながら、その音楽の表情は詩のテキストによって明らかにされる。言葉の響きとリズムはそれ自体が音楽であり、詩に付けられている音楽は、「作曲家のその詩の聞こえ方」と考えることができる。更に歌唱表現の最大の特質はレガートであり、フレージィングであり、人間的なリズムである。すなわち、作曲家独自の「音楽の流れ」である。このように声楽曲には言葉(歌詞)と「音楽の流れ」との2面性がある。
 演奏者は楽譜の中から様々なことを読み取らなければならない。しかも文学的な内容を持つ作品の場合、そのテキストに表現された作詞者の感情とその詩にたいする作曲者の感情を読みなければならない。そ


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