福島県教育センター所報ふくしま No.100(H03/1991.8) -007/038page

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の際、演奏者は詩に対する自分の考えを作曲者の考えに一致させ、誠実を尽くして表現しなければならないのである。

2. 日本歌曲の演奏と解釈
日本歌曲は明治以降に西欧の作曲技法を学んだ作曲家によって創作された新しい声楽曲である。その多くは西欧のベルカント唱法を基本として歌うことが要求されている。山田耕筰は日本語とベルカント唱法のはざまで先駆的な表現技法を示し、後の多くの作曲家に影響を与えた。在来の日本歌曲にはベルカント唱法で十分生かされる作品と日本の伝統音楽の『声』を基にしている作品とがある。山田耕筰の作品の中にも民謡長のものや近世邦楽の要素を取り入れている作品もある。また、ベルカント唱法で歌われる作品の中に日本的な味が内在されているものも多くみられる。
日本歌曲の歌唱は、単に日本語の歌詞につけられた歌にとどまらず、芸術歌曲としての作曲家の音楽表現でもあるだけに、その演奏は声楽的な内容の濃さが求められる。
日本歌曲を歌う場合、どの様な発声をもって日本語を歌う指導をするのかという問題は教育の現場ではいまだ解決されていないことは先述したが、作曲家の意図した声を目指すのは言うまでもない。そして、日本語の発音においては、母国語とはいえ安易に扱ってはいけない。
日本語で歌唱する場合、言葉をより美く表現するためにイタリア語と同じように母音の響きを統一することが大事である。しかも、必要に応じて明暗を使い分けることも要求される。そして、ウの響きはドイツ語ほどではないが深く響かせることが大切である。子音の響きは、カ・サ・ハ行ではより明確に発音し、ヤ行では、iyaのようにiを加えて発音することなどの留意も必要である。
歌詞の扱いにおいては、抑揚や語感の表現を日本語として鮮明に発音されたとしても、演奏者が心で感じて表現しなければ聴く側にとって無感動なものになってしまう。そのためには、作曲家が言葉をどの様に感じ、聞こうとしたかなど作曲家独自の「音楽の流れ」を推察し、詩的に音楽的に解釈を押し広げていくことが大切である。

3. 山田耕筰の歌曲における一考察
(1)山田耕筰について
山田耕筰は日本の近代音楽史上、明治から大正にかけて国際的に活躍した最初の作曲家である。早くから作曲の道を志したが国内では師を得られず、東京音楽学校では作曲ではなく声楽を専攻した。そして1910年にドイツに留学し、ベルリンに滞在しながらヨーロッパの風土や文化の下で作曲の基礎を学んだ。帰国後の彼の音楽活動には、常に作曲家の生きる場所を開拓する気概と努力が内包されている。黎(れい)明期の日本の音壇にあって、彼の創作行為は持続的で、作品発表は強靭な意志によって行われた。そして、その活動は日本の楽壇の礎を築き、日本人の生活にもより豊かな音楽性をもたらした。


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