福島県教育センター所報ふくしま No.100(H03/1991.8) -008/038page

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 彼は大正・昭和のモダニズムの精神風土に培われ、文学、演劇、舞踊、美術などの他領域の芸術家との共働を通じて総合的な芸術を目指し、絶えず時代思潮の中心に身を置いた。彼の作品は、19世紀のロマン主義の伝統を継ぐ西洋近代音楽のジャンルと様式を広範囲に受容するものであった。また、彼の全作品は常に日本語とかかわりあい、東洋的な感性に触発された詩想が貫かれている。
(2)山田耕筰の歌曲について
山田耕筰の歌曲が生まれる背景は、彼の伝記からその多くが推察される。彼は、生来の歌好きであり、先述したように東京音楽学校やベルリンで声楽を学び、ことに発音や発声については声楽家としての力量を持ち合わせていた。また彼は英語や独語を自由に話すことができ、優れた語学力を持っていた。このため日本語の言葉の持つ美さや抒情を鋭敏に感じ取ることができた。そして、北原白秋との交流によって磨かれた感性は、日本語の歌唱でそのアクセントと語感を尊重する「詩と音楽の触合」を図った芸術歌曲を世に送り出したのである。
彼の歌曲はヨーロッパ風のメロディーが根底にあり、理論より感情先行の人柄から、より旋律性の豊かな作品が多い。旋律と言葉のイントネーションの関係では「言葉で表現するものをそのまま音で表現する」手法を用い、重要な意味を持つ言葉ではイントネーションを誇張する音形で旋律を作曲した。彼の作品の多くは日本的な情緒を持っている。それは長調のハーモニーを基に、部分的に民謡やわらべ歌の音形を巧みに用いたり、ヨナ抜き長音階に変化音を加えて近代的な響きの和音を使用しているからである。また彼の歌曲の特徴として各小節ごとに拍子が変わることがあげられる。これは言葉のフレーズの音節数により拍子を変えて表現したものである。また、彼の作品の伴奏譜は同世代の他の作曲家のそれとは異なり、その音の響かせ方が非常に豊かで深みがある。これは、R、シュトラウスとスクリアビンの音楽に憧れ、彼等の作曲の技法を自作の音楽に用いたためと思われる。

おわりに
山田耕筰の歌曲は日本歌曲の短い歴史の中でさんぜんと輝く優れた作品である。彼の歌曲を歌唱する際、楽譜上のどんな小さな指示にも、非常に考えられた意味のあることとして注意を払わなければならない。楽譜に記された細かい指示一つ一つをよく検討することによって、日本歌曲の歌い方について多くのヒントが得られる。また、そうすることによって作曲家の「詩の聞き方」を知り、作曲家独自の「音楽の流れ」を理解し、音楽の中に内在する日本的な情緒を表現することができると考える。
 本研究では歌曲の解釈と歌唱法について山田耕筰の作品を通して述べたが、彼の偉業は日本歌曲のみにとどまらず、彼のオーケストラ活動やオペラなどあらゆる音楽の領域にわたっていることは言うまでもない。

参考文献
「山田耕筰伝記」  日本音劇協会偏 等


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