福島県教育センター所報ふくしま No.100(H03/1991.8) -017/038page

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随想

「万世大路」をたずねて

科学技術教育部長   礒 部 紀 郎

 約30年前になろうか,飯坂から旧国道13号(昭和41年に廃道となった)を栗子峠までパイクで走ったことがあった。大滝宿から急な坂道と曲りくねった道路が続いていたこと,電気の無い暗く長いトンネルを通過したこと,栗子峠付近は原生林が伐採されたばかりであったこと,小さな沢には岩魚が泳いでいたことなどが思い出される。
 福島に住むようになったのを機会に,早春のある日,懐かしさと記憶をたよりに旧国遁13号を訪ねることにした。東栗子トンネル入口に車を置き,徒歩で30分ほど急坂を登ると旧道に出た。この路は廃道になってから20数年経過しているが林道としての役目をはたしているのか補修が行われており,道幅も十分であった。約1時問ほど歩くと約500mのトンネルに着いた。ふと右手を見ると藪の中に墓石のようなものが立っていた。近づいてみると,「鳳駕駐蹕之蹟(ほうがちゅうひつのあと)」「明治14年10月3日御通輦(ぎょつうれん)」とある。これは後でわかったことだが明治天皇が東北・北海道巡幸のおり,御休息された場所に建てられたものである。この記念碑と同じようなものを大滝宿,桑折町,山形県上山市で見たが,刻んである年月日から巡幸の往路は,桑折町から国見町を経て宮城県に,帰路は,山形市から米沢市を経て福島市に入ったと思われる。そして,開通してまもないこの路を「万世大路」と命名され,天下の大路となったのである。
 一方,トンネルには「ニッ小屋トンネル昭和9年3月竣工」とあった。60年前にこのような立派なトンネルが造られたことは,この路がいかに重要視されていたかがわかる。しかし,トンネルの中に入ってみると長い歳月には勝てず,いたるところ水漏れと落石による破損など,かつての大路が痛々しく感じられた。
 トンネルからさらに1時問ほど歩くと路は細くなり,わずかな踏み跡が続き,やがて踏み跡もなくなったのでやむを得ず引き返したが,この先に明治14年に開通した栗子トンネレがあるので,いっか機会があったらぜひ訪ねたいと考えている。
 山々には大木はないが以前はブナの原生林があったと思われる。わずかに昔の姿をとどめているのはニツ小屋トンネル付近のブナ林のみであろうか。しかし,路すじにはカタクリ,ショウジョウバカマ,イワウチワの群落など早春の花を見ることができた。
 この「万世大路」は,やがて草木にうずもれ忘れ去られていくことであろう。これとは対象的に「新万世大路」(国道13号)は,大量輸送道路としての役目を果たし,さらに夏は観光道路として,冬はスキー場への道路として活気を呈していることを考えるとき,世の中が急激に変化していることを身をもって感ずるこのごろである。


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