福島県教育センター所報ふくしま No.102(H04/1992.3) -003/038page
トを開発するとき,最初に行われるのは熟練工の作業分析です。次にその作業手順をコンピュータに覚えさせるのです。初めに人あり,です。ところが,教育の世界では,ベテランの先生がどの様に授業を進めているのか,具体的な手順がほとんど知られていません。研究授業では,授業のアフォリズムをたくさん聞かされるのですが。 最近の医学部では,患者との対人関係の訓練を重視するようになりましたが,どんなに笑顔で注射されても,風邪の熱を下げるのにどの薬をどれだけ注射器に用意するのかについて知識がなければ,藪医者です。
授業に当てはめれば,教材の説明に使われる言葉や一つひとつの発問が,子どもの学習にどんな効果があるのか,といった知識があってはじめて専門家と言われるのです。そこで私はCAIの研修会では,漢字の読み方や台形の性質のような基本的な教材のブログラム化の練習をしていただいています。先生と子どもの間にパソコンを置いて間接的な授業環境を設定すると,先生が直接子どもを指導しているときには気づかないのですが,具体的な授業の手だてについていかに知識不足であるか知らされます。
これでは,子どもが行列して買い求めるようなソフトが作れません。
パソコンはCAIとしてだけでなく,多様なかたちでの利用が期待されています。しかし,CAIに限定しても,これまでとは違った授業研究の視点を与えてくれる可能性が大きいのです。ですから,若い先生方だけでなくベテランの先生方にCAIの研究に携わっていただきたいのです。
◆ 踏み絵としてのパソコン
当時,教育工学の名のもとに,OHPとアナライザーが教室に入り始めていました。そして,現在,OHPは各教室に常備されるまでになりましたが,アナライザーの方は取り払われてしまったか,備品の廃棄時期を待つべくホコリまみれになっています。
OHPが教室で重宝がられたのは,手軽に教材が作れることもあるが,日木の授業の進め方に合致していたためです。先生が大勢の子どもを前に,一斉に語りかける授業では,OHPは先生の活動の引き立て役になります。熱心な先生方は,使い方の工夫を重ね,理科の実験を呈示する装置まで開発しました。今では,パソコンの画面を教室全体に見せることさえできます。
逆に,アナライザーが日本の先生方に見捨てられたのは,明治以降の近代学校のなかで,個別学習の伝統が育たなかったためではないでしょうか。個々の子どもの理解状況をつかみながら,学習の定着をめざした多様な学習活動を準備する。このことが,どうも苦手なのです。
OHP型になるかアナライザー型になるか。急激に教室に導入されるパソコンの行方が心配されます。パソコンは,今後の日本の授業を占う踏み絵とも言えます。先生が喋れば授業とみるか,一人ひとりの子どもに学習が成立することをもって授業とみなすか。もし,前者の道をたどるかぎり,教室にパソコンのゴミの山ができるのは,そう遠い日のことではないでしょう。