福島県教育センター所報ふくしま No.103(H04/1992.6) -004/038page
が大きい。
J:よくも悪くも自分そのものの実態像が反映されるということが分かるし,自分を見つめなおすことにもなると思った。
「児童相談所の仕事は毎日がドラマですね」とは着任早々の同僚の言葉であるが,仕事柄,子どもとの面接を通して,多種多様の悩みに接する。時には,子どもの方が大人たちよりも深いドラマ(人生)を演じて(生きて)いると思うことさえある。
殆どの場合,他の誰かの迷惑になるために,児童相談所に連れて来られる。その迷惑というのは,盗み,家出,不良交友,不純異性交遊,怠学,登校拒否等である。
問題点を説明するのは,たいてい,親,教師,その他の大人であり,その情報は,問題の現象記述としては正確でも,子どもがその背後にどんな感惰を抱いているかについては,必ずしも充分伝えていないところがある。
子どもがそうした行動に及ぶ心の深みでは,「僧しみ,怒り,嫌悪感,焦り,悲しみ,当惑,落胆,無力感,恥,劣等感,罪悪感,不信感」などの感情が渦を巻いている。
そして,それらの感情の渦は,「自分がなくなる不安,見捨てられる不安,脅かされる不安,嫌われる不安,非離される不安,失敗する不安,軽蔑される不安,邪魔される不安」などに由来している。
その不安を取り除いたり,軽減するのが対応のポイントになるが,大人への不信感を強めている子どもは,そう簡単には心開かず,大人は,どうしてもその行動に振り回されがちである。しかし,そうした行動をその子がとらざるを得ないその子の気持ちは何なんだろうかという思いを向け,その感情の奥にある不安が,どういうところからきているのか,それを感じとることができた時,ようやくその子とつきあえる糸口が見えてくるのだろうと思う。
さて,これまで「非行の練習問題」を素材に,対応策について述べてきたが,問題は,まだ半分も解決されてはいない。現場には足の不自由なBと他の生徒が取り残されているのである。彼らに対しては,どのような対応をされるだろうか。
「あちら立てば,こちら立たず」ともいう。さらに「個人か全体か」,「優しさか厳しさか」,「自由か規律か」等,生徒指導の実際場面には,多くのジレンマが存在している。しかし,二者択一の論理では,こうした問題の解決は困難であろう。生徒の心情に対する感受性を欠いた「厳しさ」は,硬直したものになるだろうし,規範を守ることに対する厳しい反省を欠いた「優しさ」は,甘くて弱いものになってしまうだろう。先生方には,是非ともこのジレンマをのり超えていただきたいと思う。そのためにも,自分の接する子どもたちがおかれている状況やその心の中に生じている不安や葛藤に絶えず目を向け,今,ここで,この子どもに必要なことはどういうことかの理解を深めていただきたいと思う。