福島県教育センター所報ふくしま No.106(H05/1993.3) -002/038page

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鳥海 靖

特別寄稿 (論説)

国 際 化 の 中 の 歴 史 理 解

−日米歴史教科書共同研究の経験から−

東京大学教授  鳥海 靖



アメリカの歴史教科書

十数年前から,民間の国際教育情報センター(Internationa1SocietyforEducationa1Information,略称ISEI)が中心となり,歴史学・地理学・国際関係論・国際理解教育などの分野の専門家の協力を得て,世界の国々,とりわけ日本がかつて戦争をした相手国と,高等学校・中学校の社会科(主に歴史と地理)の教科書を交換し,両国の関係や互いの相手国が,その中でどのように描かれているかを共同で調査研究に当る,というプロジヱクトが進められている。
 その最初の相手国はアメリカ合衆国であったが,私も,1980年(昭和55),東京とラシ・一ン(アメリカ・ウイスコンシン州)で,2度にわたって開かれた日米杜会科教科書研究会議に日本側委員として出席した。アメリカのハイスクールで使う世界史の教科書何冊かを通読したのは,この時がはじめてであったが,それは私にとってはなはだ輿味深い経験となった。
 読む前には,日本についてかなり偏見と誤解に満ちた記述が多いだろうと想像していたのだが,意外に的確で公平な見方をしている,というのが正直な読後感であった。むろん,細かい事実の誤りや不正確な表現は少なくなかったし,日本人の目から見て,バランスを欠くと思われる記述も散見された。中には,「1970年代になると,東京では大気汚染がひどくなり,外出する人々は皆マスクをつけた」といったたぐいの思わず苦笑を誘う誤解もみられた。しかし,」音前のような「フジヤマ・ゲイシャ」的日本イメージは,ほとんどかげを潜めたといってよい。日米戦争の扱いについても,日本を一方的に悪者にするような偏った見方や感情的な記述はほとんどなかった。逆に,アメリカ政府が戦時下の在米日系人に加えた「不当な差別的待遇」や「人種的偏見」について多くのスペースを割くなど,日系人への差別に対する歴史的な反省・批判をこめた記述も見受けられた。また,極東国際軍事裁判(東京裁判)にふれて,日本の戦争指導者たちが戦犯として処刑された事実を客観的に記述したうえで,「この裁判の基礎には報復という考え方があり,裁判に疑問を抱く人々もいる」とコメントをつけている教科書もあった。
 こうした叙述は,いうまでもなく多民族国家として,国内の少数民族の権利を重視しなければならないとする動きが高まりつつあった,当時のアメリカ社会の動向を反映するものであろう。そのころの日本の教


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