福島県教育センター所報ふくしま No.106(H05/1993.3) -003/038page
科書には,第二次大戦下の在米日系人の強制収容に言及したり,東京裁判へ疑念を呈したりするものが全くなかっただけに,私の目には,このようなアメリカの教科書叙述における複眼的視座,多元的な歴史の見方,ひいてはアメリカ杜会の「度量の広さ」が強く印象に残ったのである。
日本はアンダードッグか?
日米教科書会議において,日本の歴史教科書に対するアメリカ側委員の評価はおおむね高かった。私からすれば,日本の3倍位のボリュームがあり,ふんだんにカラー写真などを使って,歴史読み物としてもなかなかおもしろいアメリカの教科書に比べると,日本の教科書は,限られたスペースにやたらに事実を沢山つめ込んであり,いかにも無味乾燥に思えるのだが,アメリカ側からすれば多くの歴史上の重要なトピックスを正確,かっ,コンパクトに盛り込んでいる,というわけである。
しかし,同時に,日米関係,あるいは国際社会の中の日本という観点からみて,日本の教科書の叙述のスタンス,あるいは史実の取りあげ方などについて,キャロル=グラック教授(アメリカの著名な日本研究家)らアメリカ側委員の間からは,日本人の歴史理解の本質にかかわるような鋭い批判がでたことも忘れられない。
その一つは,日本の教科書はアメリカを実際以上に強大な力を持った大国として描く反面,日本自身を実際の実力以下の小国であるかのように受け身の姿勢で叙述する傾向がある,という批判である。
彼等の発言の中に,「日本は自国をアンダードッグとして描いている」という意見が出た。アンダードッグ(Underdog)を辞書で引くと,「負け犬」「敗残者」などと出ているが,この訳語のニュアンスとはちょっと違う感じだった。アンダードッグという言葉の解釈をめぐって,会議の席上だけでなく拍茶や食事の時間まで,日米双方の委員の間でユーモア混りの論議が活発に展開されたが,アメリカ側は,「弱そうに見えて同情をひき人気を集める存在」というようなニュアンスで使ったらしい。
その当時,日米摩擦は現在ほど深刻ではなかったが,それでも,日本の集中豪雨的な対米輸出の増大に,アメリカは苛立ちをみせはじめていた。「日本は自国の経済力の大きさ,経済的影響力の巨大さを自覚しようとしない」という不満や批判は,そのころ日米関係を論ずる際に,しばしばアメリカ側から提起されて論議を呼ぶのが常であったが,日米教科書会議でも,同じような主張が出たわけである。
アメリカ側のこのような批判を念頭において,これまでうっかり読み過ごしていた日本の歴史教科書をじっくり読み直してみると,確かにその批判はいわれないものではないことがわかる。たとえぱ,「外来文化の摂取」や「西欧の衝撃への対応」は,常に日本史上の重要問題として,多くのスペースを割いて取りあげられているが,その逆に「日本文化の外国に与えた影響」とか,「日本の近代化の国際杜会に与えた衝撃」などについては,ほとんど関心が払わ