福島県教育センター所報ふくしま No.113(H07/1995.2) -003/038page

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なかにあること,2.小数を数えるのに分数を待ち出していること,3.小数の「書きかた」と「読みかた」がそのまま定義の形で与えられていること,となる。

教科書教材の特質をこのようにとらえるということがなぜ教材の「裾野」に目を向けることになるのかというと,その特質がその教科書教材の積極的側面とともにその不十分な側面をも明示的にしてくれるからであり,したがって教科書教材からどう視野を広げるかということが明らかになるからである。

以上のように教材の「裾野」に目を向けるということは,何よりも「教材研究」を教科書教材の範囲にとどめないで,さまざまな側面に目配りをしていくように,視野を広げていく研究であるが,以上の「小数教材」の場合,「小数」というもののとらえ方を「整数であらわしきれないはんぱが生まれ,『さてどうしようか』という場面に出会わさないでは,およそ小数の本質はわからない」というような側面を発見することによって,教師の「裾野」への目配りが生まれてくるということである。まさにそのような目配りを生まれさせる教師の目とそれを支える教師自身の問題意識が重要である。そしてそのような目と問題意識こそが「小数の読みかた」をそのまま定義として与えるだけでは子どもにとっての真の「教材研究」ではない,ということを気づかせることになる。

「教材研究」においてはどの教科においても,この教師の目が「裾野」にまで目配りできるかどうかが問われている。

2.教材の「核心」と柔構造的把握

ところで,教科書教材の特質をふまえてどう教材の裾野を広げるかという際に,特質そのものに集約される教科書教材群からさらに大きな教材群に広げるための視点が必要となるが,その視点を支えるものを私は教材の「核心」と呼んでいる。

その「核心」について「小数教材」を例として述ベると,次のようになる。

まず教科書教材を分析・検討すると,小数を教えるうえでの二つの本質的問題点が浮かび上がる。それは第1に「小数はある量を測定したとき,はんぱの部分を処理するために生まれた数」であるという点が明示的に組み込まれていないことである。また第2に小数は最初から「十進小数」のことだとされているが,はんぱの処理という観点からいえば新しい小数の単位がもとの単位の十分の一,つまり「十進小数」である必要はなく,したがってなぜ「十進小数」が使われるようになるのかという点も欠落しているということである。

それゆえに,せっかく分数であらわされているものをなぜまた小数でいいかえなければならないかを考え・わかるようになるところがポイントとなる。そのためにも教師の目と問題意識をふまえた教材の全体構造ともいえるものへのイメージのようなものが教師の中に形成されてくる。その教材の全体構造のイメージ形成を支えるものが私のいう教材における「核心」である。


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