福島県教育センター所報ふくしま No.113(H07/1995.2) -006/038page
ということは,「基礎基本」の習得という確かな学力の育成も位置づけられていたということなのである。
しかも教材の「裾野」と「核心」さえとらえられていれば,あたかも「自由放任」的授業に見えても,必然的に「基礎基本」の習得が位置づけられていくのである。ここに「教材研究」の必要不可欠性があるのである。
4.「基礎」と「基本」と教師の目ここでややユニークな知識のとらえ方について紹介させていただきたい。
ふつう,知識のとらえ方は,今まで述べてきたように「基礎・基本」というような「基礎」と「基本」をセットにしてとらえるものであるが,以下に紹介するのは両者を分けるとらえ方である。
このとらえ方はもともと15年ほど前に私が「教育科学社会科教育』(明治図書)で提案したものであるが,そのとらえ方をさらに実践をふまえて深めてくれたのが,昨年まで私の研究室に現職教員大学院生として県教育委員会より派遣され修士論文を作成した猪狩仁教諭である。
その研究の一部は「福島大学教育実践研究紀要第24号』(1993年11月)に掲載されているが,そこにおいて知識は「基礎的知識」と「基本的知識」と分けられて,次のように定義されている。
「基礎的知識a」− 教師が与える知識
「基礎的知識b」− 既有の知識
「基礎的知識c」− 児童が集める知識
『基本的知識 』− 児童が組み立てる知識。(個性的知識)以上からもうかがえるように,「基礎」的知識は「基本」的知識の土台として位置づけて,その土台の知識をふまえて,子ども自身が「基本」的で「個性」的な知識を組み立てていく,というとらえ方である。
猪狩教諭の論文テーマは「『新しい学力観』に基づく社会科授業のあり方−知識の獲得,組み立てという視点に立った授業構成−」というものであるが.この論文から受け止めるべきことは,知識を「基本的」「個性的」な知識としておさえつつ,そのような知識をこそ育てるためにも「基礎的知識」が必要不可欠であるという点である。しかも後者の「基礎的知識」は単に「教師が与える知識」にとどめないで「児童の既有の知識」や「児童が集める知識」という子ども自身の主体的活動によるものも位置づけたことである。
猪狩教諭は6年の歴史の授業(聖武天皇と奈良の大仏)で,「上級役人等の食事,住まい」「律令制下での課役(租庸調等)」「飢饉,病気等」「会津嶺のうた」などという「基礎的知識」をふまえて,「大仏の作られたころの農民の姿」という「基本的知識」を子ども自身に創らせようとしている。
以上のような「基礎」と「基本」に分けてとらえる知識のとらえ方においても,確かな学力を育成する上で必要な,知識の構造的・立体的にとらえ方の一つの例を示しているように思える。