福島県教育センター所報ふくしま No.113(H07/1995.2) -007/038page

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5.確かな学カの育成と教材をとらえる目

最後に確かな学力を育成する上でのポイントとでもいえることについて述べてみたい。

庄司先生が指摘されている「真の学力」を育成する上で一つの教訓になるのは戦後初期の「新教育」における反省である。その頃の状況について広岡亮蔵氏(名古屋大学名誉教授)は次のように述べておられる。(『学習形態−系統学習・問題解決学習』明治図書1955年)

「単元展開や問題解決は,もっぱら子どもの手で,という立前がとられ,教師が子どものいろいろな活動を,なかから組織する役割を担当した。この考えかたは,捨てがたい指導のカナメをおさえている。しかし『なかから組織する』ということは,かならずしも十分にただしい考えかたではない。そのうえ現実的には,ともすれば指導の放棄をし,結果として,片面的な現実をみちぴきだすことになる。学習の展開が,モタモタして,横ばいをすることになりやすい。なかから組織する,という考えかたは,教育実践のトイシにかけられた結果,その片面的なかたよりが,事実的にあらわれでてきたのである。そこで……(次のような考えかたがでてきた。)つまり, 子どもの問題と活動に即しながらも,ここには埋没しないで,問題の核心にいどむように焦点づけをなし, そして,問題が子どもにたいしてもっている真実の方向へと,解決を進めようとする展開指導のしかたである。ここでは教師は,子どもに即しながらこれを導く,という姿勢をとるようになってきた」(下線−引用者)

ここには,子どもの問題と活動に即しながらも,「ここには埋没しないで」,「問題の核心にいどむように焦点づけをなし」「問題が子どもにたいしてもっている真実の方向へと,解決を進めようとする」ことの重要性について述ベられている。

私は今,本県で問題となっているいわゆる「学力向上」を教育実践上の課題とするとき,この戦後初期の「新教育」における反省は過去のこととして一笑に付することはとうていできない。

まさに「子どもの問題と活動に即しながらも」,「ここに埋没しないで」,「問題の核心にいどむように焦点づけをなす」ような教師の 真の指導性 を抜きにしては,確かな学力はしっかり子どものなかに育成することはできないのである。

ましてや,全国的規模の,あの「競争試験」のなかでは勝ち抜くことはできないのである。この「競争試験」は率直に言って「真の学力」を正当に評価するようなものになっているかどうかという点では必ずしもそのように機能していないように思うのだが(私たちのそれなりの努力はあるにしても),しかし,その「競争試験」にもやはり勝ち抜く「力」を,私たちの「確かな学力」の育成への努力を通じて,育ててやらねぱならないのであろう。

そのためにも教師自身の教材の「裾野」と「核心」をとらえる目が決定的に重要ではないかと考える。


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