福島県教育センター所報ふくしま No.113(H07/1995.2) -011/038page
3.新しい学カ観と教材研究新しい学力の考え方が学校現場に浸透しているが,「新しい学力観」のもとで教材研究自体も変わっていかなければならないのだろうか。
このことを考えるには国語科の授業において,文学教材を読む「ねらい」は何かについて立ち戻ってみる必要があるだろう。
文学教材の読み取りでは,子ども一人一人の作品との出会いを大切にし,深い「味読」によって新しい発見や感動を体験させるとともに,意味内容を正しく捉えることができるようにするねらいがある。他に,この教材の読み取りにおいて言語の能力,すなわち言葉で認識し,思考し,伝達し,表現する能力を高めるねらいもある。これらのねらいについては今次改訂の学習指導要領においても変わってはいない。
新しい学力観のもとでは,こうしたねらいに迫る過程において,これまで以上に,「関心・意欲・態度」を重視し,「思考・判断・表現力」をなおいっそう高めるとともに,すべての子どもに,自ら学ぷ力を身に付けることを強く求めているのである。
国語科の教材研究は「何を学ばせるか」「何のために学ばせるのか」「どう学ばせるか」に区分できる。「何を」は教材内容や学習内容。「何のため」は学習目標。そして「どう学ばせるか」は指導法である。
ことさら新しいことではないが,教材研究で最も重きをおかなければならないのは「何を学ぱせるか」の段階である。「深く耕す」作業といってもよい。これは深い読みと柔軟な対応を生む元づくりになる。
マニュアルや指導書たよりに,学習過程をどうするか,発問は,活動は,形態は,板書はといった内容は「どう学ばせるか」の教材研究である。しかし,これだけの教材研究では子どもに感動のある,本当に満ち足りた授業を体験させていくことは難しいだろうし,新しい学力観が求める課題にはじゅうぷん応えられないだろう。
子どもに深い感動のある読みを体験させていくには,教師に深い読みの体験がなければならない。教師は繰り返し繰り返し教材とする作品を撤して読む。読んでは考え書き,また読む。そして,作品のよさを掘り当て本当に自分のものにしていく。これが「何を学ぱせるか」の教材研究である。文章の研究や学習事項の研究はその後。指導法の研究はさらにその後となる。この教材研究の基礎・基本の考え方は,新しい学力観ではより強調されているのである。
4.教材研究の日常化ある一つの方向をめざして子どもの集中を持続させ,一人の力ではとうてい及ばない高次なものを,他の子どもの力のぶつかり合いによって生み出していく。これが授業である。こうした授業をいかに創り出していくかは教師に課せられた命題である。
教師は子どもが集中する対象をつくり出し,他とのかかわり合いの中で生命の火を燃やさせていく。そうした過程で真の学力はどの子にも実らせていくことができる。
質の高い授業とは,どの子どもにも自らにつぎつぎと問いを生ませることである。こうした授業の実現をめざすには,教材研究の日常化の他に近道はないだろう。