福島県教育センター所報ふくしま「窓」 No.118(H08/1996.7) -003/042page

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が「社会の正義と公正の実現のために自分の生 命をかける」と言って司法の道を選ぶのと全く 同じ水準の厳粛な選択のゆえに、教師は今ここ にいるのだ。だとすると、自分の自由な決定に よってもたらされる一切を引き受けることは、 教師の責任範囲に属することになる。

 教職は、一歩間違えば子どもの心身を傷つけ かねないほど危険な、それゆえたえず緊張を求 められる、苦労の多い仕事である。しかし、そ れに耐えることは、教師が自分の生き方として 教職を選択したさいの運命的黙示であった。教 育は、子どもの人間性と教師の人間性との邂逅 点で営まれる。教師は、みずからの生命力を内 面から紡ぎ出し、それを子どもから引き出した 人間的可能性と結び合わせる。教育は、まさし く人間の・人間による・人間のための仕事であ り、人間性に対し最短距離のところで遂行され る営為である。それは、人間がみずからの生涯 をかけて従事するに値する仕事ではある。それ だけに、この聖なる営みに参加する教師が研修 によって高水準の教育資質と技量をつねに新鮮 に保持することは、ゆるぎなき至上命令である。 研修の必要性は、教職という厳粛な職業選択に 論理的根拠をもっている。

 また、現代の文明状況も教師の研修を要求す る。経済社会の発展、科学技術の高度化、情報 化社会の出現、高齢化社会の到来、多様な価値 観の林立、環境問題の発生など、人類をめぐる 文明状況は目まぐるしく変動している。教育は、 この変動に待ったなしの対応を求められる。環 境教育、コンピュータ教育、国際化教育、福祉 問題への取り組み、生命倫理やエイズ問題の主 題化など・・・・・・。社会状況の急激な変化は、学 校の果たすべき役割をたえず肥大させ複雑化さ せる。教師は、文明状況への多忙な対応を求め られる。教師の研修の必要性は、変動する文明 状況に論理的根拠を有している。

 一昔前なら、大学を出るまでに蓄積しておい た知識と技能を効率的に小出しすれば、教職の 日常をまかなうことができたであろう。しかし 現在では、せっかく体得した知識や技能の有効 期限は大部分が数年どまりである。学校教育の 現場では、知識と技能の消耗度は極めて大きい とみなければならない。教師がみずからの教師 資格を保持し続けるためには、知識と技能をた えず交換し補給しなければならない。変動する 社会は、教師に研修による自己変革つまり教育 資質と技量のたえまない向上を求めている。教 師に対し周期的に繰り返されるリカレント教育 としての研修カリキュラムは、時代と社会に論 理的根拠をもっている。

 教育の内容と水準こそは、民族と国家の運命 を決定する。これは、まごうかたなき事実であ り真理である。教師は、教員免許の取得者とし て教壇に立っている。このことは、社会の進歩 と発展に必須の教育という仕事を社会から委託 され、教育機能の責任ある担い手になっている ことを意味する。つまり、教師は社会の教育機 能の人格的表現態なのだ。社会の進歩と発展は、 教師の資性と能力の水準に依存することになる。 その意味で、未来世代の教育に従事している教 師は、日本の進歩と発展の行方を決定する仕事 への重要な関与者なのである。このため教師は、 重要な仕事に関与する主体的条件をつねに整備 しておく必要がある。研修によって教師は、み ずからの教育的資質と力量をたえず右上がりに 向上させ、それを新鮮かつ活力ある状態に保っ ておかなければならない。日本の将来の帰趨に 教師が深く関与しているという事実もまた、研 修の必然性を論理的に根拠づけている。


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